宇都宮の地名の由来と餃子の歴史を同時に解説!宇都宮は藤原氏の町だった!

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「宇都宮」といえば何をイメージしますか??まず、大半の人は餃子を想像すると思います。餃子、ウマーですよね。嫌いな人を見たことがありませぬ。浜松餃子と日本餃子の座を争っていることでも有名な宇都宮ですが、その知名度はまさに全国区。栃木県にありながら栃木という名前よりも知名度的には高いかもしれませんね。

 

蛇足ですが、栃木県には栃木市という市もありますが、県庁があるのは宇都宮市です。栃木県の第一都市は間違いなく宇都宮でしょう。

 

そんな宇都宮ですが、なにやら面白い字書くとおもいませんか??「都」と「宮」がはいっているのでなにやら貴族や天皇系の匂いさえします。また、宇都宮はなぜ餃子が有名なんでしょうか??そんな宇都宮にまつわる二つの事象を歴史を織り交ぜて説明しようと思います!




 

宇都宮の地名の由来はずばりこういうこと


宇都宮の歴史はとても古く、古事記や日本書紀に登場する第10代崇神天皇皇子である「豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)」という人物が、蝦夷討伐のためにこの地に足を踏み入れたことが始まりです。紀元前のおはなしですね。イエス・キリストの頃とだいたい同じくらいと思ってください。

 

その頃、このあたりは池や沼が多かったことから「池辺郷」と呼ばれていたそうです。まだ、宇都宮という地名ではありません。そして、この豊城入彦命を祀るために、池辺郷の人々は「二荒山神社」を創立し、その門前町が栄えていきました。そしてそして、この二荒山神社の社号が「宇都宮」といいました。おっ、宇都宮、でてきましたね!!!

 

次に、時代は千年ほど後になりますよ。平安時代の後期に「藤原宗円(1033~1111)」という人物がいます。名前の通り、藤原氏ですね。この人は「前九年の役」という「源義家」が活躍した東北地方の反乱鎮圧で功績を挙げ、下野国の守護に任命されます。下野国は今でいう「栃木県」、守護は今でいう「県知事」です。

 

下野国の守護となった藤原宗円は二荒山の社号である「宇都宮」を苗字とします。ここに、宇都宮氏が誕生するとともに、宇都宮という町も産声を上げたわけです。かなり、由緒ある名前であると同時に、藤原氏の町でもあるんです、宇都宮は。

 

ちなみに、二荒山神社は宇都宮駅西口をおりてまっすぐ歩けばつきます!存在感があるので、一発でわかりますよ。なぜここに?というタイミングでいきなり荘厳な神社が登場するので、餃子を食べた後、歴史に興味がある人は訪れてみてください。

 

なぜ宇都宮では餃子が有名なの??


ではなぜ、宇都宮で餃子が有名なんでしょうか??宇都宮、本当に駅周辺には餃子屋さんが多いんです。東京、いやそれ以外町ではまず見慣れない風景です。なんせ、餃子屋さんに行列ができてるんですから。

 

宇都宮餃子の歴史は「豊城入彦命」や「藤原宗円」と比べると全然新しいんです。藤原宗円の時代からまた約千年ほど後の時代の話となります。時代は第二次世界大戦。日本は満州を中心とした中国に侵攻していました。

 

当時、宇都宮師管区とする陸軍第14師団が満州に駐屯していました。満州といえば、有名なのは「満州餃子」ですよね!そう、この満州で本場の餃子を目にし、味を感じた陸軍第14師団が戦後、宇都宮に帰還した際に、餃子屋を次々と開店させたのが宇都宮餃子の始まりなんです。

 

その後、1990年に入ってから、町をあげて餃子を使った町興しを始め、1994年には宇都宮駅前に餃子像が設置されるなど、ここから宇都宮=餃子の町というのが全国区となったわけです。

 

私も宇都宮で餃子を堪能したことがあります。もちろん、お店ごとに味が異なり、美味しいのはもちろんなんですが、なんといってもその「餃子文化」が宇都宮の町を美しく彩っています。餃子屋が軒を連ね、いろいろな餃子の店をはしごする。また、餃子と酒の相性も抜群なので、居酒屋代わりになる。

 

そして、驚くのがその閉店の速さです。驚くことなかれ、21時で閉店する店もたくさんあります。早くから餃子と酒を飲んで、早く帰って寝る。まさに、文化とは人々が長い間かけて作り上げた無形の財産です。宇都宮には、それがあります。宇都宮にきたら、ぜひ「餃子文化」を体験してみてください。

 

中でも、みんみんの餃子は鉄板中の鉄板です。味はシンプルなんですが、その分飽きがこず、いつまでもサワーでいけますよ!レモンサワーが個人的に相性がベストです。




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