「国士無双」の語源となり、「背水の陣」を考案した人物、韓信にせまる

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麻雀をやったことがある人なら絶対に聞いたことがある役、「国士無双」。私も一度、この役満を出したことがありますが、バレバレな手なので国士無双であがれた時は一際うれしかったのを覚えています。

 

この国士無双ですが、意味合い的には「国に二人といない戦士」という意味で、つまるところ、天下に並ぶ者がいない第一の人物ということになります。実はこの国士無双にはモデルとなった人物がいます。その名も「韓信(紀元前196~紀元前230年頃)」という人物なんです。中国の人物ですね。

 

時代背景的にはキングダムでも有名な「秦」が滅んだの後に、楚という国の「項羽」と漢という国の「劉邦」が互いの覇権をかけて争います。よく、「楚漢戦争」とも言いますが、ここで勝敗のカギを握った人物こそが韓信なんです。韓信がついた方が勝つとまでいわれ、故事成語のモデルともなったこの人物にせまります。ちなみにこの項羽はキングダムにでてくる「項燕」の子孫です。




 

国士無双の韓信


韓信は最終的には漢という国の大将軍となり楚を打ち破ることとなりますが、最初は楚の国の一兵卒にすぎませんでした。楚の中にも韓信に一目置き、韓信の提言を実現するよう項羽にとりはかる人物もいましたが、項羽は韓信の才能を認めず、一兵卒のままでした。

 

そこで韓信は漢の劉邦の元へ出奔します。ですが、なんです。漢の劉邦もまた、最初のうちは韓信の才能を認めませんでした。しかし、劉邦のまわりの家臣達が韓信の才能をしきりに劉邦にアピールします。ここからが、項羽と劉邦の違いです。項羽は独裁者気質でしたが、劉邦はよく家臣の言うことに耳を傾けることでも有名でした。そこで、劉邦は家臣団の言うことを信じ、韓信を大将軍の地位へと大抜擢します。まさにここが、項羽と劉邦の運命の分かれ目でした。

 

この時、劉邦の家臣に「蕭何(しょうか)」という人物がいるんですが、この人物こそが劉邦にこう提言するんです。「彼は国士無双です。絶対に失ってはいけません」と。ここに、国士無双韓信の誕生です。

 

その後の漢はまさに破竹のいきおいでした。韓信率いる漢軍は次々と楚に属する国を滅ぼしていき、最終的には楚を倒します。最終決戦である「垓下の戦い」では、漢軍が楚の歌を歌い、楚兵を多数投降させたことでも知られています。これこそが、「四面楚歌」の語源です。

 

背水の陣、韓信


この韓信ですが、有名な戦いの一つに「井陘の戦い」があります。この戦いは韓信率いる漢が、趙という国を相手にした戦いなんですが、この戦いが韓信をさらに有名なものとしました。その理由は「兵力」です。漢の兵力は3万、それに対する趙の兵力はなんと20万でした。しかも漢兵は遠征によりかなり疲労が重なっていました。

 

戦いにおいて相手より有利になるためにはまず「いかに戦いやすい場所に陣地を構えるか」ということが重要となります。例えば、背面が山に囲まれていて、さらに前面には川が流れている。こういう場所はとても守りやすい環境と言えます。しかし、韓信はその正攻法通りの兵法を無視し、なんと川を背面として陣地を構築しました。

 

これは、韓信が兵法を知らなかったわけではなく、あえて川を背面に陣を敷いたからなんです。ではなぜか??兵力が相手より圧倒的に少ない場合、まず考えるのは「脱走」です。そして次に「士気の低下」です。この二つのダブルパンチで自軍はほぼ壊滅状態になってしまいます。しかし、韓信の考案したこの「背水の陣」はこの二つのダブルパンチを防ぐための布陣でした。

 

川を背面にしたら、まず逃げることはできません。しかも、この時の川はかなりの崖でした。逃げることができないということは、つまり勝たなければ敵兵に捕まって、最悪の場合処刑されるということになります。そうなると俄然、士気が高まります。

 

一方、趙は漢の背水の陣をどう見えたかというと、「兵法を知らないやつめ」「趙軍の方が圧倒的に兵力が多いぞ」という感じで、漢側と比べてゆるゆるな状態でした。結果、韓信率いる漢の圧勝に終わり、趙がここに滅びます。

 

ちなみに、この超軍の中には「李左車」という将軍がいるんですが、この人物こそがキングダムでも有名な趙の「李牧」の子孫です。李左車はこの戦いで趙の指揮官である「陳余」「背水の陣を侮ってはいけない」と背水の陣を打ち破る策を提言しますが受け入れてもらえず、敗戦後は韓信の元につき、楚を滅ぼした垓下の戦いで活躍することとなります。

 

他にも楚漢戦争に突入する前、劉邦は項羽から蜀の地へ領地を飛ばされます。蜀の地は今でいう四川省で山だらけ。項羽のいる場所からみたら左方向なので「左遷」という言葉がここから生まれました。

 

というように、中国史は三国志やキングダムの時代が今は有名ですが、この楚漢の時代もかなりの名将や故事成語がうまれたおもしろい時代なんです。

この時代をマスターしたいという人はまずは入門書であるこれを読破してみてください。まさに、教科書です。




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