種子島に伝来した火縄銃。日本で最初に鉄砲が使われた戦は??

gun

イゴヨサンフエルテッポウ(以後予算増える鉄砲)という語呂で鉄砲伝来の年号を覚えた人も多いと思います。そう、日本に鉄砲が伝来した年は1543年の場所は種子島、日本は戦国時代の真っただ中でした。種子島から伝来したので、種子島銃ともいったりします。火縄式の銃ですね。

種子島に鉄砲が伝わった話はまた別の記事で書こうと思いますが、今回は「鉄砲が初めて実戦で使われた戦」を見ていきたいと思います。




 

鉄砲で有名な戦といえば


そう、あの有名な「長篠の戦い」ですね。戦国最強と言われた武田騎馬軍団を有する武田信玄の跡を継いだ武田勝頼と、天下統一のためには武田家を討ち滅ぼしたい織田家との雌雄を決する大戦です。織田信長はこの戦で大量の鉄砲を投入しました。三弾戦法が本当にできたかなんて話もありますが、ここではそれは置いておきます。この戦で織田・徳川連合軍は最強と言われた武田騎馬軍団を破り、名家武田家は滅亡の道へと辿ります。

しかし、ここでのポイントは、織田信長が「大量の鉄砲を投入した」ことです。諸説ありますが、おおよそ三千丁もの鉄砲を投入したといわれています。ちなみに種子島に鉄砲が伝来したときに日本に渡されたのはたったの二丁です。長篠の戦いが発生したのは1575年。

つまり、鉄砲伝来した1543年から1575年までの間に日本における鉄砲量産技術が確立し、鉄砲が多くの大名に普及していたことを物語っています。そのことから考えると、長篠の戦で鉄砲が初めて使われたと考えることはできません。遅すぎます。

 

ずばり加治木城の戦い


鉄砲が伝来したのは種子島です。日本の地理関係上、種子島から次に鉄砲が伝わるのはそう、九州です。というより種子島から一番近い本当は鹿児島県、薩摩ですね。

そうなんです。日本で初めて鉄砲が戦で使われたのはここ薩摩の地なんです。当時の種子島の領主であった「種子島時尭」は国主である島津家に鉄砲を持参します。島津家といえば、源氏の名門であり九州に覇を唱える大大名ですが、当時の九州はまさに乱世です。薩摩一国にしても不安分子だらけで、ちょうど薩摩大隅の統一を始めんとしていた時でした。

そこで薩摩統一を図る「島津貴久」は重臣である「伊集院忠朗」に、今の鹿児島県姶良市にある「加治木城」攻めを命じます。時に1549年、鉄砲伝来から6年後のことです。ここでどのように、何丁使われたかははっきりわかってはいませんが、諸説ある中でこの加治木城攻めの鉄砲説が一番古い説なんです。

 

乱世では技術が隆盛する


皮肉なことですが、戦争は技術を大きく進歩させます。その最たる例が鉄砲です。最初はたったの二丁だった鉄砲が、長篠の戦いの頃には一大名が数千丁もの鉄砲をもてるほど、日本の鉄砲技術は向上します。世界でも例をみないほどの鉄砲大国となった日本は、その後豊臣秀吉、そして徳川家康の手によって安寧の世に入ります。

全ては1543年から始まりました。多くの人が鉄砲でなくなりましたが、一方で乱世を早く治めることとなった物の一つかもしれません。これも皮肉なことですが。




にほんブログ村 歴史ブログへ

You may also like...

1 件の返信

  1. 2017年3月11日

    […] 種子島に伝来した火縄銃。日本で最初に鉄砲が使われた戦は?? […]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です