時代ととも用途が変わる凧の変遷が面白い!凧の歴史を分かりやすく解説

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正月の風物詩の一つといえば「凧」ですよね。都心ではかなりレアですが、郊外に住んでいる私は小さい頃、正月になると近くの公園や河川敷で凧を揚げるのを楽しみにしていたものです。そんな凧ですが、現代では凧の用途って「正月の風物詩=正月の遊び」くらいですよね?もちろんスポーツカイトなどもありますが、日本ではめったに見ませんよね。

ですが、この凧の歴史を辿っていくと意外と面白いんです。時代とともにその用途を変えて今に生き残ってきた凧の歴史、特とご賞味ください。




 

日本に凧がやってきたのは平安時代


そもそも凧の発祥は古代中国だと言われており、日本に凧が伝わったのが平安時代と言われています。では、平安時代の凧はどういう用途で使われていたのでしょうか??これは、容易に想像がつきます。たいてい、大陸から輸入された最新のアイテムは高価なものであり、それゆえ位の高い人が扱うものでした。この凧もその例外ではありません。そう、「貴族の遊び」です。蹴鞠と同じく、貴族の遊びの一種だったんです。

 

その他にも「吉兆を占う、占い的な要素」「神事や祭」などでの用途もあったようですね。それが、戦国時代へ突入すると、またその用途がだんだんと変わっていきます。

 

戦国時代には戦国時代らしい凧の用途が


戦国時代というのは悲惨な時代である一方、「敵に少しでも優位になるため」に様々なテクノロジーや新たなツールがうまれる時代でもあります。そしてこの元来からある凧も面白い使われ方をします。それが、「軍用凧」です。

 

凧の一番の特徴は、「高所に揚げられる」ということですよね??今の時代であればドローンがあって敵情視察は容易に行えますが、戦国時代にはドローンなんでありゃしません。そこで、考えられたのが、「敵との距離を測る」用途です。例えば、鉄砲をもった伏兵が潜んでいると思われる場所に凧を揚げて、敵がそれにとっさの反応で鉄砲を発射してきたら、おおよその敵の居場所と火力が分かりますよね??そういった使い方がされていました。

 

また、時代は遡ること紀元前200年前後、漢王である劉邦の配下に「韓信」という歴史上有名な名将がいます。その韓信も軍用凧を使ったといわれています。日本の戦国時代は1500年代ですから、1700年も前に日本に先駆けて軍用凧を使っていたこととなりますね。ちなみに、この韓信は「国士無双」「背水の陣」ということわざの語源となった人です。韓信のついての記事も書いているので、ご参考にどうぞ。

<参考記事>




江戸時代、凧は商業用途へ


そして戦国時代は徳川家康によって終止符が打たれます。ここに、江戸徳川体制で日本史上稀なる長き平和な時代が訪れます。世の中が平和になると、成熟するのが「文化と経済」です。特に江戸時代では様々な商屋がうまれ、今に続く財閥系会社も江戸時代に産声をあげました。そんな中、どこの商屋も力を入れていたのが、「商品のプロモーション」です。

 

今の時代では、商品のプロモーションはネット広告やテレビ広告で行いますよね?でも江戸時代にそんなものはありゃしません。ではどうするか。答えは簡単です。「他より抜きん出て目立つこと」です。はい、そうです。凧は「目立つ・多くの人に見えてもらえる」という点ではこのうえもない格好の媒体でした。そこで、どの商屋も自社の名前や商品を凧に書いて飛ばすことで、商品のプロモーションとしていたんです。

 

ですが、この凧を使った商品プロモーションも時代の流れには逆らえません。それは、「電気の発明」です。電柱ができたことにより、凧は近代化の邪魔者となっていきました。また、電気がうまれ、テレビが普及するとテレビCMがプロモーションの主流となっていき、ここにプロモーション媒体としての凧の時代は完全に終わりを告げます。

そうして、凧は「遊び」の要素のみがのこって今に至ります。あれ、これってどこかでみませんでしたか??そう、「平安時代の貴族の遊び」です笑 われわれは今、貴族の遊びと同じことを凧を使ってやっているのです。




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