最初の征夷大将軍はだれ?征夷大将軍について簡単に解説

shogunduka

「征夷大将軍」、かっこいい響きですよね。征夷大将軍と聞いたら、様々なイメージが思い浮かぶと思います。幕府を開ける人、徳川家康、足利尊氏、源頼朝、源氏、坂上田村麻呂。実は、どれもある意味正解なのですが、征夷大将軍について正しく理解できている人はあまりいません。

なので、今回は征夷大将軍について誰でも分かるよう簡単に解説いたします。いざ、征夷大将軍。




 

そもそも征夷大将軍って??


大将軍は何となく意味がわかりますよね。軍の統括者が将軍です。なので、大将軍とはまさに軍の頂点のことを指します。つまりここでのポイントは「征夷」なんです。

奈良時代から平安時代の幕開けにかけて、朝廷の東西南北は敵だらけでした。日本は統一されておらず、当時の政権の影響範囲は畿内の一部にすぎませんでした。

そこで、朝廷からみて東西南北方面を鎮撫するために、それぞれの方角に将軍を配置します。当時は中華思想に基づき、東西南北の野蛮な民族(朝廷に帰属していない人々のこと)をそれぞれ「東夷・西戎・南蛮・北狄」と呼んでいました。これを「四夷」と言います。

つまり征夷とは、「東の野蛮人(東夷)を征服する」という意味です。ここまできたらわかりますよね、征夷大将軍とは「東の野蛮人を征服するために任じられた軍職」のことなんです。

 

じゃあ最初の征夷大将軍はだれ??


これはちと複雑です、征夷大将軍という官名は意味合いは同じでも何回か呼び方が変わってるんです。

<征夷大将軍と同官の初代>

  • 陸奥鎮東将軍=巨勢麻呂(709年)
  • 征夷将軍=多治比縣守(720年)
  • 征東将軍=大伴家持(784年)
  • 征東大将軍=紀古佐美(788年)
  • 征夷大将軍=大伴弟麻呂(794年)

いずれも、意味合い的には全て同じです。東方方面の軍司令官の立ち位置なので。なので、この考え方からすると、巨勢麻呂が初代ということになりますが、正式な官名としての征夷大将軍の初代は大伴弟麻呂ということになります。

ちなみに、あの有名な「坂上田村麻呂」は大伴弟麻呂の次の征夷大将軍です。「阿弖流為(アテルイ)」と戦ったとこでも有名ですね。

 

その後の征夷大将軍の意味合い


源平合戦頃からこの征夷大将軍の意味合いがかわってきました。源氏の棟梁である源頼朝が征夷大将軍となり鎌倉幕府をひらくと、その後征夷大将軍の意味合いが本来の意味合いと異なってきます。

<征夷大将軍とは>

  • 源氏であること
  • 武士の棟梁であること
  • 幕府を樹立できる

こんな意味合いに徐々に変わっていってしまいました。徳川家康も征夷大将軍に任命される前は、自らを源氏であるという理由を無理やりこじつけたと言います。

征夷大将軍の本当の意味とその変遷について、おわかりいただけたでしょうか??今は無き官職ですが、日本史を語るうえでは必ずといって言いほど登場する官職です。




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