一夜にして消えた内ヶ島氏の帰雲城!白川郷の埋蔵金伝説はこうして始まった

shirakawa

岐阜県飛騨地方にある白川郷といえば世界遺産に認定されたこともあり、今では外国からでも多くの観光客が訪れます。その白川郷の代名詞といえばなんといっても「合掌造り」ですよね!

 

そして、今日のお話はその合掌造りではないんです!笑 実はこの白川郷には昔「帰雲城」という城があり、その城が一夜にして姿を消してしまったんです。そしてそれが起因して今では埋蔵金伝説まで残っているんです。このお話、出来事としては大きいんですが、いまいち世の中に知られていないので解説したいと思います。今だったら大ニュースになるでしょうね。




 

内ヶ島氏が物語の中心


このお話に欠かせないのが、当時白川郷を治めていた「内ヶ島氏」という豪族です。内ヶ島氏はもともと室町時代の足利将軍家に仕えていました。それが足利三代将軍「足利義満」の馬廻衆をしていた「内ヶ島季氏」という人物です。

 

物語が動き始めるのが、その内ヶ島季氏の息子である「内ヶ島為氏」の時代です。為氏は当時の八代将軍である「足利義政」に白川郷の支配を命令されます。そこから、内ヶ島氏と白川郷の関係が動き出すんです。

 

そもそもなぜ将軍である足利義政が内ヶ島為氏に白川郷行きを命じたのかが、この話の大きなポイントとなります。それはずばり、「鉱山開発」でした。当時の将軍家は財政的にもきつくなってきており、懐を潤す必要が多分にありました。そこで目をつけたのが、「白川郷の鉱物資源」でした。今でもそうですが、財力というのは国の力に大きく比例します。現に、石見銀山を有していた毛利家や甲州金山を有していた武田信玄等、軍事力=財力と言っても過言ではない時代でした。

 

また、白川郷には事実金鉱脈が存在しており、内ヶ島氏は白川郷支配に移ってから、実際にいくつかの金山を発見しているんです。このことから、足利家が鉱山開発を目論み、内ヶ島氏を白川郷に派遣したことが伺えます。

 

帰雲城、誕生


その白川郷支配のために内ヶ島為氏が築いたのが「帰雲城」です。1462年頃と言われています。その後、内ヶ島氏は一向宗や越後の「上杉謙信」、飛騨の豪族「姉小路頼綱」の侵攻を受けますが、それらを撃退。これも金山の財があったからでしょう。金山経営と共に、城下町も発展していきます。金が出るところには人が集まりますからね。内ヶ島氏の最盛期を迎えるわけです。



豊臣秀吉の侵攻、そして帰雲城の悲劇


1582年、歴史を動かす大事件が起きます。そう、「本能寺の変」です。天下統一を目指していた織田信長が明智光秀により討たれます。かなりはしょりますが、その明智光秀を豊臣秀吉(当時は「羽柴秀吉」)が「山崎の戦い」で撃退。すると、「信長の後継者は誰にしよう??」となりますよね。そこで勃発したのが、豊臣秀吉vs柴田勝家の「賤ヶ岳の戦い」や、豊臣秀吉vs織田信雄・徳川家康の「小牧・長久手の戦い」です。

 

その小牧・長久手の戦いに、当時の内ヶ島氏当主である「内ヶ島氏理」も参戦していました。豊臣秀吉はその隙に、「金森長近」に白川郷侵略を命じます。そして城主不在の中、帰雲城は占領されてしまいます。その後、内ヶ島氏理は豊臣秀吉に降伏。少しばかり所領を減らされましたが、白川郷支配を引き続き任され、帰雲城も返還されます。豊臣秀吉は内ヶ島氏の鉱山経営技術を高く評価したのでしょう。

 

豊臣秀吉に所領を安堵された内ヶ島氏理はその夜、帰雲城で内ヶ島氏一族や芸者を集め大宴会をひらきます。そりゃそうですよね。一度は占領されましたが、所領を安堵されたということは、そのまま鉱山経営と白川郷支配が引き続きできるんですから。

 

しかし、そこで悲劇が起きてしまいます。「天正地震」です。1585年11月29日のことでした。天正13年に白川郷一帯を襲った大地震です。この地震により帰雲城のあった帰雲山は山体崩壊を起こし、城は一夜にして埋まってしまいました。また、城だけではなくその城下町にあった300件の家も土砂により全滅。内ヶ島氏一族とその支配領域が全て無に帰してしまいました。城と城下町の人合わせて500人が犠牲になったといわれています。生き残ったのは、わずか4人ともいわれています。

 

埋蔵金伝説の誕生


こうして一夜にして突如消えてしまった内ヶ島氏と帰雲城ですが、ここから埋蔵金伝説がうまれることとなります。前述したとおり、内ヶ島氏はいくつかの金山経営をしており、もちろんその金を私財として蓄えていました。それは、城の中かもしれませんし、誰にも気付かれないような山中であったかもしれません。それが、この天正大地震によって埋まってしまったことは想像に難くありませんよね???

 

しかし、帰雲山が山体崩壊をおこし、あたりがぐじゃぐじゃになってしまってうえに、当時洪水まで起きていたため、正確な帰雲城の位置や当時の遺構がはっきりと分かっていないんです。ここに帰雲城があったんじゃなかろうか??というところは分かっていますが、それ以外のことはかなり謎につつまれているのが事実です。そのため、これまで埋蔵金発見には至っておらず、さらにそういう経緯からさらに埋蔵金伝説を助長されるような伸び代となっているんです。

 

冒頭に言いましたが、これが現在におこっていたら世界的な大ニュースですよね???ですが、歴史の教科書にも載っておらず、知っている人だけが知っている。こんな悲劇の事件が約450年前にあったんです。




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