一度は見たことある?日本各地にある「庚申塔(庚申塚)」の意味を簡単に解説

あまり気にする人は少ないかもしれませんが、田舎や都心でも古くからの道で、こんな石塔を見たことはありませんか??こういうやつです。

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これ、「庚申塔(こうしんとう)」もしくは「庚申塚(こうしんづか)」というんです。庚申塚は若干意味合いが違いますが・・・ここではおいておきます。写真をみて、「そういや見たことあるかも!」だったり「全然知らなんだ」と言う人がいるかもしれませんが、実はこの石塔はよくよく注意して道を歩いているとまぁまぁ存在するので、今まで気にしてなかった可能性が高いです。

 

今後、この石塔の検知能力を高めるために、この石塔が何者なのかを簡単に解説したいと思います。




 

ポイントは「庚申信仰」。簡単にいうと・・


これを知るには「庚申信仰」を知る必要があります。めちゃくちゃ簡単にいうと、「複合信仰」です。例えば神道や仏教、道教や土着信仰などが混ざってできたものという表現が近いかもしれません。

 

「庚申」とは干支(=十干・十二支)の60通りある組み合わせの一つのことを言いますが、ここでは簡単にこう考えてください。「庚申の日」という考え方があり、それは先ほどの「60通り」から「60日毎に訪れる」と考えられています。それを「庚申日」といいます。庚申日は人間が冷酷になりやすいと考えられており、また庚申日は「三尸虫(さんしちゅう)という虫が、寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行く」と言う風に考えられています。

 

書いていて思い出しましたが、この三尸虫(さんしちゅう)って確かぬーべーにも出てきたような・・・・

 

庚申日は眠ってはいけない!!


先ほど「庚申日は三尸虫(さんしちゅう)という虫が、寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行く」と書きましたが、昔の人はそれを避けるためにこう考えるわけです。「なーるー。寝ている間に悪事を報告に行かれるのであれば・・・ワンチャン眠らなきゃいいんじゃね??」と。

 

そう、庚申日になるとなんと寝ないで酒宴を開いたり、勤勉したりしていたんです!しかも、これは平安時代から「庚申御遊」という貴族の習わしにもなっており、かなり昔からそういう風習が存在してたことが垣間見えます。



これらがどう庚申塔と関係するかというと・・・・


この庚申日(60日に一度)に徹夜して酒宴や神仏を祀る行事を「庚申待」といい、この庚申待を3年18回行ったことを記念して建てられるのが、「庚申塔」なんです。この庚申塔なんですが、沖縄を除く日本全国に分布していますが、関東には多く、関西には少ないという特徴があります。これは自社仏閣が多い関西より、関東の方が土着信仰が多かったからでしょう。

 

庚申塔は江戸時代になりバンバン建てられるようになりましたが、明治時代の合理的な近代に入ったことから、庚申信仰は迷信と位置づけられ、都心部の庚申塔は撤去されるようになりました。また、コンクリートの道路を敷くために撤去されたもの、移設されたものも数多く、そのため今では田舎や都心部でも古道沿いにちょこちょこ見られる程度になりました。

 

ですが、庚申塔は今でも道を歩いていると普通に見ることができます。そんなの見たことない!と言う人はおそらくアンテナがないだけだと思います。この記事を読んだあなた、もうすでに庚申塔のアンテナは出来上がっています。ぜひ、ふとしたところにある庚申塔を見つけてみてください。




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5件のフィードバック

  1. 伊藤正孝 より:

    家の近くに建っ庚申供養搭には、かろうじて明和七年の年号が確認できますが、古いものでは、いつ頃のものがあるのてしょうか?

    • 歴史風味 より:

      最古の庚申塔は埼玉県にあるもので、1471年と言われているみたいですよ!

  2. さわ より:

    知りたいことが知れました!記事を書いてくださってありがとうございます。

    • 歴史風味 より:

      ありがとうございます!これからも、お役に立てる記事を書くよう、頑張ります!

  3. たか より:

    椎名誠さんの本を読んでると「庚申塚」と聞き慣れない言葉が出てきましたが、謎が解けてスッキリしました。関西に少ないとあるのも納得です。