江戸城腹痛事件とは?なぜ富山は薬が有名なのかを、歴史を紐解きながら見てみよう

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「富山県」と聞いたら何を思い浮かべますか?富山をディスるわけじゃありませんが、多くの人はあまり富山に対してイメージを持っていないかもしれません。立山連峰や黒部ダム、チューリップとかでしょうか?もちろん、それらも有名なのですが一つ忘れてはいけないのは「富山の薬」です。富山にはなぜか製薬会社が数多く存在しているんです。また、定期的に薬を各家庭に薬を補充するような「置き薬」という商法をはじめたのも、越中(今の富山)の薬商人です。

ではなぜ富山では薬が有名なのか?を歴史を軸に解説していきたいと思います。




 

1:薬が育つ土壌がそもそもあった


今でこそ薬といったら、トップ画像にもあるようなカプセルや錠剤ですが、いわばこれらの薬は「西洋医学」と呼ばれるものです。日本における西洋医学の歴史は浅く、それまではずっと中国から輸入された「東洋医学」が基本でした。東洋医学の代表例の薬が「漢方薬」ですよね。じゃあ、その漢方薬って何で作られているの?ってことがポイントなんです。

 

漢方薬は主に「薬草」「その他鉱物等」を調合してつくられます。薬草はまあ想像つきやすいと思いますが、「その他鉱物等」の代表例を言うと「鹿の角」なんかがそうです。つまり、漢方薬を作るには、「薬草が多く生えており、かつ鹿の角などその他鉱物が採れる土地」がベストな環境なわけです。それを頭に入れたうえで富山を見てみると、富山は黒部・立山連峰が存在しており、多くの薬草が育つ環境がありました。そのうえ、鹿が育つ環境もがっつりそろっているわけです。というわけで、富山は漢方薬を作る素材の宝庫だったので、そもそも薬業が成り立ちやすい環境がそろっていたわけです。

 

2:地理的要素も非常に良い


また、歴史において全てのことにいえる大事な要素は「たまたまそこにあったから」というものです。例えば、織田信長は尾張(愛知県)出身ですが、もし陸奥(青森県)にうまれていたら、あのような天下布部爆走コースはとれなかったでしょう。また、徳川家康も豊臣秀吉も尾張・三河(愛知県)の出身ですし、そこからみても「どこに位置しているか」は非常に重要なんです。

 

そう考えたとき、富山県というのはある場所に近いんです。そう、「京都」です。昔の都といえば、いわずもがな京都ですよね。福井県にも「鯖街道」があり、福井港で取れた鯖を京都へ運びにぎわっていたように、京都との道というのは非常に大切なんです。また、薬は非常に当時高価なわけなので、漢方を使用していたのは、都の貴族や中流階級以上の人達でした。

 

そんなわけで、富山という位置は京都からアクセス可能な位置にあり、位置的にちょうどよかったんです。



3:富山藩のお殿様の尽力


また、何かを普及させ、ブームをおこさせるにはやはりそこには「仕掛け人」が必要なわけです。このストーリーには実はその仕掛け人が存在します。その人こと、「富山藩第2代藩主、前田正甫」でした。富山藩というのは、実はあの「加賀百万石」で有名な「加賀藩」から分藩してできた藩で、「前田正甫」の「前田」からも見てわかるように、加賀前田家の分家なんです。加賀藩といえば「前田利家」がやはり有名ですもんね。

 

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そして、加賀はさきほどいった通り、「百万石」というくらいなので、なんせ経済力が非常に強い。強いんですが、富山藩は別です。当時の経済基盤は米です。米を作るのには平野が必要です。富山には平地が少なく、そのため経済的にもそんなに裕福な藩ではありませんでした。

 

そこで、前田正甫はこう考えます。「米がなければ、他の産業で潤そう」と。いわゆる、殖産興業ですね。前田正甫は製鉄業を新たに興したり、少しでも米の生産能力をあげるために治水に力をいれたりと、四苦八苦しながら国力をつけようとします。そこで目をつけたのが「薬」です。前田正甫自身が病弱だったためともいわれていますが、富山には前述したとおり薬が育つ環境が完備されていました。

 

4:江戸城腹痛事件


富山で有名な薬の一つに「反魂丹(はんごんたん)」というものがあります。これは丸薬の一種で胃痛・腹痛に効果があるといわれていました。前田正甫自身も腹痛を起こした際、反魂丹が効いたことから反魂丹の処方のレクチャーを受け、それ以降彼が独自に調合した「反魂丹」を印籠に入れて常時携帯していたといわれています。

 

そんなある日、事件が起きます。世に言う「江戸城腹痛事件」というやつです。1690年、江戸城内で三春藩主の秋田輝季が激しい腹痛を訴えました。すると、たままたその場にいた前田正甫が自身が持っていた反魂丹を秋田輝季に飲ませたところ、あら不思議!たちまち腹痛が回復したじゃありませんか!という日本話的なストーリーです。これを見た諸藩の大名は「我が藩でも、富山の反魂丹を販売してくれ!!」となり、富山の薬がフィーバーします。

 

そういうこともあって、富山の薬というのは今に伝わる歴史と伝統をもっているわけです。西洋医学が普及してからは「富山=薬」のイメージが希薄になってしまっていますが、実際富山の町を歩くと、本当に薬屋さんや薬にまつわる場所やお店多く見られるんです。




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