豪雨災害で被害を被った岡山県真備町、その由来はあの吉備真備にあった

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2018年、西日本を中心とした記録的な大雨により未曾有の大災害となりました。まだインフラが整っておらず、復旧まで相当な時間がかかると予想されます。改めて、今回被災された方には心よりお悔やみ申し上げます。

 

今回の天災はかなり広範囲に被害がおよんでいますが、その中に「岡山県真備町」という町があります。ちょいと歴史に詳しい人ならこの町名を聞いてピンとくる人もいるでしょう。今回は、岡山県真備町の復興を祈って、この由緒ある町の名前の由来を書きます。




 

由来は、とある人物の名前にある


まず「岡山県」ですが、この地域は昔、「吉備国」といいました。吉備団子の吉備はこの吉備ですね。なので、岡山県の駅前にはかの有名な「桃太郎 with 吉備団子(お腰にね)」が建立されています。その吉備の国で西暦695年に生まれた天才学者がいます。その名も「吉備真備(きびのまきび)」という人物です。時代でいうと奈良時代ですね。ここで、名前にちゅーもーく!!!「真備」とありますよね??そう、岡山県真備町の名前の由来は、まさに彼の名前からきています。

  • 岡山県→吉備
  • 真備町→(吉備)真備

まさにもう、そのまんまですよね!岡山県真備町は言い換えれば、吉備国真備となり、もう吉備真備なんです。吉備真備いいまくってごめんなさい。だけど、吉備真備なんですもん。

 

まとめると、吉備真備がうまれたこの土地を、そのまま「真備町」とつけたのが、岡山県真備町の名前の由来なんです。さて、この吉備真備という人物、古代史においてはかなり有名人なんです。それも、天才として。彼がどんな人物だったのか、少しばかりご紹介します。



天才、吉備真備


吉備真備は地方の豪族の出身で、身分は決して高い出自ではありませんでした。ですが、幼い頃から神童ぶりを発揮しており、その結果なんと20代前半で遣唐使に抜擢されます。遣唐使はいわば国費で先進国留学をするため、国にとっても一大プロジェクトでした。その遣唐使に地方の豪族出身の低身分者が抜擢されたことからも、とても頭の良かった人物ということが伺えます。

 

その後、日本に戻った吉備真備は聖武天皇や光明皇后に抜擢され、ぐんぐんと官位をあげていきます。この頃は藤原一族の時代であるため、いわば家系がよくないと官位をあげることは非常に困難な時代でした。ですが、そんな地方出身の彼はあまりあまる聡明さで、最終的には「正二位・右大臣」までのしあがることとなります。これは異例中の異例なことなんです。この学者出身者で大臣まで登りつめたのは学問の神様といわれる「菅原道真」と吉備真備だけなんです。それだけ、実力があったということです。

 

そんな吉備真備ですが、2回目の遣唐使では副使となります。そしてこれはあまり知られていませんが、かの「鑑真」を日本へ導いたのはそのときの吉備真備なんです。そんな、唐から当時の最新鋭の知識や政治学を日本に還元した吉備真備は775年にその生涯を閉じることとなります。享年83歳でした。当時としてはかなり長命です。

 

ですが、そんな吉備真備はいまもなお、「岡山県真備町」という町名となって生き続けています。真備町が被害にあったと聞いたとき、私の頭に思い浮かんだのはまず吉備真備のことでした。そんな吉備真備の故郷であり、由緒ある名前の由来を持つ岡山県真備町、いっこくも早く復興することを願っています。




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