昔は名前が変わるのが普通だった!豊臣秀吉と徳川家康の例でご紹介

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みなさんは名前を変えたことがありますか??なんか突拍子もないような質問ですが、現代って名前を変えるって特別な時以外そうはありませんよね??女性であれば結婚した時とか、養子縁組に入ったときとか。それ以外は名前を変えないのが普通ですよね。例えば、会社で部長に昇進した時や60歳になった時、大学入学した時に「よしっ!思い切って今日から名前を変えよう!!!」ってなりませんよね!??

 

今でこそ、「名前は不変(特事を除く)」ですが、昔はむしろ名前は変わって当然でした。それを二人の有名人を例にとって見てみたいと思います。




 

豊臣秀吉の例


日本で豊臣秀吉を知らない人はそういないと思います。サルと呼ばれ、農民の出自から関白になった出世人ですね。さて、この豊臣秀吉ですが、かなり名前がころころと変わっています。その変遷を見ていきましょう。

 

  • 日吉丸→木下藤吉郎→木下秀吉→羽柴秀吉→藤原秀吉→豊臣秀吉

 

というように、こんなにころころ変わってるんです。この時代は幼名というのが存在します。つまり、成人になる前の名前ですね。「日吉丸」というのは幼名です。そして、「木下藤吉郎」は秀吉が今川家に仕官した時の名前です。これ、あまり知られていませんが、初めの仕官は織田家ではなく今川家なんですよ。

 

そして、その後織田家に仕官し、ぐいぐいと頭角を現していった秀吉は、それとともに名前も変わっていきます。羽柴秀吉の「羽柴」は織田家重臣の「丹羽長秀」「柴田勝家」から一文字ずつもらったという説もあります。

 

その後の藤原秀吉というのは、近衛氏の猶子、つまり公家の仲間入りをした時に「藤原」姓を授かり、さらに関白・太政大臣を授かった時に「豊臣」姓を賜ったことで、ここに豊臣秀吉が誕生したというストーリーになります。いやはや、ここまで名前が変わると大変ですよね笑

 

徳川家康の例


次に徳川家康の例をお話しします。言わずもがな、豊臣秀吉の亡き後に江戸幕府を開いた人ですね。徳川家康もとてつもない苦労人で若い時は今川家の人質という身分でした。徳川家康の名前の変遷はこんな感じです。

 

  • 竹千代→松平元信→松平元康→松平家康→徳川家康

 

「竹千代」は幼名ですね。小さいころから織田家と今川家の人質として育った彼は、決して自由の身といえませんでした。駿河(現在の静岡県)の大名「今川義元」の元で元服(成人)した彼は、今川義元から一文字をもらい、「元信」と名乗ります。ちなみに、松平家は三河(現在の愛知県)の国の土豪です。その後、祖父の松平清康から一字をもらい、「元康」となります。私は小説の読みすぎか、どうも徳川家康は徳川家康よりも松平元康のイメージの方が強いんですが、それはおいておきましょう。

 

桶狭間の戦いで今川義元は織田信長に敗れ、今川家は衰退します。それに乗じて松平元康は独立。織田家と同盟を結びます。そう、今川義元との縁も断ち切ったため、今川義元からもらった「元」の字も捨て、ここに「家康」が誕生したわけです。

 

その後、朝廷から従五位下三河守という官位をもらいます。いまでいうところの、県知事みたいなもんだと思ってもらえばいいと思います。それと同時に松平から徳川姓に変え、ここに徳川家康の誕生となります。

 

名前を変える機とは


ここまで見てきて、名前を変える瞬間というのはなんとなくではなく、何かが変わる瞬間に多いことが分かると思います。

  • 元服時(成人の時)
  • 誰かから一人前と認められて名前をもらう時
  • 官位を授かる時
  • 仏門に入る時(出家する時)

特に、歴史小説や大河ドラマを見る場合、みなさんが知っている名前で出てくるとは限りません。まさに豊臣秀吉や徳川家康がいい例です。武田信玄なんかもそうですね。信玄はそもそも出家名ですし。彼は武田晴信です。

 

今でこそ名前が変わらないのって当たり前と思われてますが、少し前までは逆に変わるのが当たり前でした。今の時代、名前を変えたら手続き等がめちゃくちゃ大変そうですが。。。

 




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