箱根仙石原の地名の由来を簡単に解説!実はあの戦国大名と関係が?

susuki

久々の地名由来シリーズです。箱根に「仙石原」ってありますよね?仙石原はなんといっても有名なのは「すすき草原」です。箱根の温泉とセットでこのすすきを見れるだけあって、すすきの見頃を迎える9月下旬から11月旬頃になると観光客であふれます。また、この時期はすすき祭りも開催されるので、まだ箱根のすすきを見たこと無い人は今年ぜひ行ってみてください。

 

さて、今回のスポットはこの「仙石原」です!この地名、どんな由来があると思いますか?「仙の石の原だから、昔仙人がすんでいて、石の上で修行をしていた草原だから・・・・」的な感じなものではなく、もっと現実的な由来があるんです。実はこの「仙石原」、とある人物が由来とされています。その名も戦国武将・大名であり、初代小諸藩主の「仙石秀久」です。

 

この「仙石秀久」、私はもともと知っていたのですが、彼の人生を描いた漫画が発売されてから知名度もぐんっと伸びた気がします。話がそれますが、この漫画とてもおもしろいですよ。かなり、細かな描写があり、私も絶賛全巻読破中です(まだ、終わっていません)。

少し脱線しましたが、さっそく「仙石原の地名の由来」について、みていきたいと思います。




 

まずは仙石秀久について、簡単に解説


仙石秀久という人物を端的に表現すると「波乱万丈」「人生山あり谷あり」という言葉が一番でしょう。秀久は幼少期から羽柴秀吉(豊臣秀吉)の家臣として活躍します。

 

秀久はなんといっても現場感覚が鋭く、現代でいうとホワイトワーカーというよりもブルーワーカータイプでめきめきと頭角を現します。根っからの現場タイプという感じです。そして、なんと早々と淡路国5万石の大名に出世します

 

その後、秀吉の九州征伐に軍監(字のごとく、サッカーでいうところの監督みたいな立場)として参戦した秀久はなんと「戸次川の戦い」で勇猛果敢な島津軍相手にボロッボロに負けてしまいます。その中で、長宗我部元親の長男である長宗我部信親も戦死させてしまっています。軍監としての責務を果たせなかった秀久に対し、秀吉は激怒します。そして、秀久を改易させてしまいます。つまり、首です、リストラ。首になった秀久は高野山へ追放されてしまいます。

 

しかし、そんな秀久にもまたまたチャンスが巡ってきます。それが、秀吉の「小田原征伐」です。つまり、関東の覇者北条家への侵略です。その小田原征伐に秀久は旧臣を集めて馳せ参じ、そこでなんと武功を立てて大名に復帰が許されます。そこで小諸城主になった秀久は江戸時代に入り、そのまま小諸藩初代藩主となるわけです。

 

つまり・・・

 

■秀吉の部下→大名→浪人→大名→藩主

 

というな、まさに波乱万丈・人生山あり谷ありがぴったりですよね。それが仙石秀久です。では、その仙石秀久がなぜ箱根の仙石原と関係があるんでしょうか?見ていきましょう。



ポイントとなるのが秀吉の小田原征伐


小田原といえば、北条氏の本城でもある「小田原城」があるわけですが、豊臣軍は関東全域にある北条氏の城を蹂躙しつつ、小田原城へと進軍するわけです。ちなみに、その小田原征伐の一つである「八王子城の戦い」は以下記事をご参考ください。

参考記事:豊臣秀吉による小田原征伐の舞台ともなった八王子城、これだけは知っておくべし!

 

その中で、秀久は静岡方面から箱根へと攻め入り、小田原へ向かう軍へ配属されます。そこで秀久は箱根へと向かう要所であり、小田原城の支城でもある「山中城攻め」に参加することとなるのですが、なんとその攻城戦で先陣を務め、自ら槍を振るうという大活躍をしてみせます。秀久の活躍もあり、山中城は半日で落城してしまいます。

 

山中城攻略後は箱根を通過し、秀久は小田原城を攻めます。配置された場所は早川口です。つまり、箱根方面から小田原城を攻めたわけです。小田原城はあの上杉謙信や武田信玄でさえも落とせなかった天下の名城ですが、なんと秀久はそこで早川口の虎口を占拠してしまうという大功をあげます。

 

仙石原の地名の由来


先述したとおり、小田原征伐において、仙石秀久は箱根方面から攻め入っているわけです。また、秀吉自身もこの小田原征伐中、箱根の温泉に足を運んでいたほど小田原征伐と箱根は切っても切れない関係なんです。

 

秀久はこの「山中城の戦いでの先陣活躍」と「小田原城の虎口占拠」という手柄を立てて、大名復帰を果たしています。その活躍から、箱根のすすき草原付近は彼の名前にあやかって「仙石原」と呼ばれるようになったと言われています。

 

その他にも源頼朝が「この地を開墾すれば米千石はとれるだろう」と言ったことに由来する説がありますが、まず字が違いますし仙石原付近は米作に適していません。あるとすると、最初は源頼朝がそう言ったので「千石原」と呼ばれていましたが、仙石秀久の活躍にあやかり、「千石原→仙石原」と名前を変えたとかでしょう。

 

まさか、仙石原があの仙石秀久と関係していたとはけっこう驚きですよね?しかし、彼の人生の中でもこの小田原征伐は大名参列に復帰したというとてつもない大きな出来事だったんです。それが、「仙石原」という地名として歴史に残ることは、とても素晴らしいことだと切に思います。




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