北条氏邦の鉢形城は、地形・規模共に日本100名城に相応しかった

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埼玉県大里郡寄居町にある「鉢形城」に行ってきました!鉢形城、前々からずーっと行ってみたかったのですが、なかなか機会がなく、ようやく念願がかないました!鉢形城は戦国時代の関東支配者である「北条氏」の城なのですが、いやはや・・・・関東北条王国、おそるべしです。のっけから北条氏の家紋である「三つ鱗」がお出迎えです。この時点で、北条氏の影響がいかに強かったかが伺いしれます。本城である「小田原城」からもなかなかの距離ですよ、ここは。そんな歴史を感じる鉢形城をさっそくレビューしたいと思います。




鉢形城の基礎知識を押さえよう


まずは、鉢形城の位置からです。鉢形城は埼玉県の寄居町に位置します。秩父の北東、長瀞の東にあたります。また、荒川に面しており、城の北側は荒川の断崖絶壁に守られており、天然の地形をうまく利用した平城と山城の間という感じの城です。どちらかというと、北側からの侵攻に対して備えているような城構えです。

1476年に関東管領である山内上杉家臣の「長尾景春」によって築城されましたが、その後北条家のものとなり、北条家三代目当主である「北条氏康」の五男、「北条氏邦(うじくに)」によって、大規模整備がなされました。そのため、「鉢形城=北条氏邦」というイメージが成り立ったわけです。

 

この鉢形城は地理的な要所に建てられているため、幾度とない侵攻にさらされています。かの武田信玄や上杉謙信も鉢形城を攻めています。そして、極めつけは1590年の「豊臣秀吉の小田原征伐」です。小田原征伐によって関東の四方八方から北条家は攻められたわけですが、鉢形城も例外ではありませんでした。鉢形城は豊臣方の「前田利家」「上杉景勝」らに攻められ、1ヶ月の猛攻をしのぎましたが、その後「開城」となり廃城となりました。

 

しかしながら、その歴史性や地理的要素、構造性から「日本100名城」に選出され、いまでは歴史資料館が建てられるほどになっています。

 

いざ、鉢形城!


では、そんな北条氏邦の名城、鉢形城をさっそく見てみましょう!

 

鉢形城はまさに自然の要害です。「よくぞここに建てた」といわんばかりの、絶好の場所に建てられていることがわかります。まずは城の北側には「荒川」が、南側には「深沢川」が流れており、また天然の起伏を利用した土塁がいたる箇所に存在しています。本曲輪(平城でいう本丸みたいな位置づけ)は荒川の断崖絶壁に面しています。歩いてみた感想、かんなり広いです、鉢形城。また、山城というほど起伏はないため、かなり中は歩きやすいです。

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鉢形城全体像

また、冒頭にも言いましたが、北条家はなんと言っても「三つ鱗」ですよね。城のいたるところに三つ鱗があり、北条支配を感じさせます。三つ鱗のポスト、かなり粋ですね。

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いたるところに「三つ鱗」




外曲輪です。かなりの面積があるため、出城の役割としては十分です。兵の待機場所としてはかなり見晴らしもよく、整備されています。

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外曲輪

 

「これぞ山城!」と思わせる、土塁もそこかしこに存在しています。それほど急ではありませんが、遺構が分かります。

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土塁

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ここも土塁

また、散歩コースとしてもとても良いですよ。自然たっぷりで、とくに片栗が自生していることでも有名みたいです。ちょーどこのあたりなのですが、私が訪れたときは季節ではなかったため、花は咲いていませんでした。

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片栗が有名

また、北条氏邦にちなんだ「氏邦桜」というエドヒガン桜が植えられており、町指定の天然記念物となっているそうです。片栗と同じく、私が訪れたときは緑緑しており、花が咲く気配はまったくありませんでした笑

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そして、こちらが本曲輪の「伝御殿曲輪」から見下ろした荒川の風景です。めちゃくちゃ断崖絶壁であります。これは、北側から攻めるのは困難ですね・・・・・そして、見晴らしがとても良いので、城側からしたら敵の行動が筒抜けで分かるわけです。いやぁ、改めて良い場所にあるなぁ、鉢形城。自分が戦国時代の人だとしても、ここに城を建てたくなりますよ、これは。

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伝御殿曲輪から荒川を望む

この近くには、これまた北条家の名城である「忍城」があるのですが、タイムアウトになってしまったため、また別の機会に行くことにしました。埼玉って実は関東平野の中央に位置しているため、城の宝庫なんです。西側は山城、東側が平城が多いですが、平城はいまや町の中に埋もれてしまっているため、やはり山城がよいですね。

 

日本100名城をまわる旅はまだまだ続きます!




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