【日本100名城】広島城を見る前に知っておくべき3つのことはこれだ!

私は現在絶賛日本100名城をまわっておりまして、今回はその中でも名古屋城、岡山城に並んで「日本三大平城」と呼ばれている「広島城」にいってまいりました!いきなり、天守を紹介してしまいます。どどんっ!!

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広島城天守

かなり立派な天守ですよね。木造の木の色がそのまま表れているのが特徴です。広島市のほぼ中心に位置し、広島の観光スポットの一つともなっていますが、なんといっても広島城の素晴らしいところはその「外見」ではなく、「その歴史」なんです。この広島城の成立背景や変遷を知ってから広島城を見ると、何倍も広島城が楽しめます。

 

今回は、そんな広島城をより深く知るための「スパイス」として、広島城を見る前に知っておくべきことを「3つ」ご紹介します。これから広島城を見る人はぜひ、また既に見終えた人はより理解を深めるため見てみてください。




まずは、広島城の基礎知識から


その前にまずは、基本情報です。これは必ずおさえておきましょう。広島城はもともと広島を支配していた「毛利家」の城で、「三本の矢」で有名な「毛利元就」の孫である「毛利輝元」によって1589年築城が開始されました。その後、1600年の関ヶ原の戦いで「西軍」だった毛利家は徳川家康によって減封され、現在の山口県へ飛ばされます。その後毛利輝元は山口=長州で「初代長州藩主」となり、毛利家は幕末まで続いていくわけです。

 

一方の広島城はというと、豊臣秀吉の腹心だった「福島正則」が城主として入城し、その後は「浅野家」が入城して幕末まで続いていきます。まず、基礎知識はこんなところでよいでしょう。では、今から「広島城を見る前にしっておくべき3つのこと」をご紹介します。

 

知っておくべきこと①:広島城築城のきっかけ


毛利家は戦国時代、「中国地方の覇者」です。なのに、注目してほしいのは広島城の「築城年」です。先述しましたが、築城年は1589年でこの年はかなり戦国時代末期なんです。毛利家は既にこの年には何個もの国と城を保有していたのに、なぜ新たに広島城を建築したのでしょう??

 

ヒントは「広島城が平城」ということなんです。そもそも「平城」というのは戦に向いておらず、どちらかというと「山城」の方が守備戦術を考えたときには、戦向きなんです。

 

そして毛利家は広島城を建てる以前より、長らく本城としていた城があります。それが、「吉田郡山城」です。これは、れっきとした「山城」で戦闘に特化した城です。こんな感じです。

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吉田郡山城の全域図

 

実は広島城の築城年である1589年は先ほど申しあげましたとおり「戦国末期」で、ほぼ豊臣秀吉の天下が決まりかけていた時代です。そんな時代なので、大切な時代要素が「戦闘」からじょじょに「経済」に移っていくわけです。

 

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広島城マップ

先ほど「平城は戦闘には向いていない」と言いましたが、そう、「平城は経済合理性を備えている」んです。平城を中心に、道路や海運、はたまた寺町や町人街等が形成され、一大経済圏が成立します。これは、山城ではできないことなんです。そのため、この時代は「山城→平城への変遷」が日本各地でおこなわれていた時代なんです。まずは、このことをおさえておきましょう。



知っておくべきこと②:「広島」という地名はこのときにできた


知っている人も多いかとおもいますが、広島というのは「太田川の河口に開けた三角州上」に町が形成されている、「一大三角州都市」なんです。一方で三角州の弱点というのは「地盤の弱さ」です。なんといっても、川が運んできた土砂で形成された地盤ということになりすからね・・・・しかし、既に戦闘の時代はおわり、経済の時代へ突入していたので、地盤の弱いところに城を建てる時代になったともとれます。

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外掘より

 

広島城はこの三角州にある中でも「最も広い島地」である「五箇村」に建築されることが決まりました。ここから、「最も広い島=広島」という名前が生まれたわけです。ちなみに、広島城は当時の最先端の城である「大阪城」の構造を参考にしたといわれています。

 

知っておくべきこと③:戦争とも深い関わりがある


広島といえば、なんといっても「原爆」ですよね。あの悲劇は二度と繰り返してはなりません。そして、この広島城もそんな「戦争」を経験した建物なんです。江戸時代が終わり、明治政府が樹立すると、この広島城内に「大日本帝国陸軍」の施設が建てられます。その後、1894年の「日清戦争」では城内に「広島大本営」が設置されることとなります。

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広島大本営跡

 

そして、1945年8月6日に悲劇はおとずれました。そう、広島に原爆が投下されます。広島城は爆心地より1キロメートル離れていたものの、爆風と熱線に耐え切れず、天守閣は自壊します。

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再建された大手門

 

広島城は戦国時代から昭和まで、幾多の濃い歴史を経験してきた、日本の数少ない城なんです。見た目も立派ですが、それ以上に深い歴史を広島城は持っています。ぜひ、広島城を見る際にはその歴史をおさえてから見て回ると、また理解が深いものとなりますよ。




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