【日本100名城】三島スカイウォークだけでない、山中城の3つの魅力をご紹介!

「三島スカイウォーク」って知っていますか?三島市にある日本最長のつり橋で、最近ではかなりの観光名所ともなっているんですが、実はその近くに個人的にはもっとすごい名所があります。それが、「日本100名城」でもある「山中城」です。

 

国道1号、すなわち東海道の要所にあるこの山中城は知る人ぞ知る名城なんです。今では三島スカイウォークばかりが目立ってしまっていますが、箱根や三島、沼津を訪れた際にはぜひとも行ってもらいたい城の一つなんです。

 

今回はその山中城の魅力をお伝えします!




魅力その1:山中城の位置


城というのはgoogle mapの無い時代であるにも関わらず、人工衛星でみてるでしょ?と思うくらい交通の要所に建てられています。昔の人の地理感覚はすさまじいですよね。山中城もご覧になると分かるように、沼津と小田原のちょうど中間くらいに位置しています。そして、国道1号線というのは昔で言う「東海道」です。

また、箱根の関にも程近く、箱根十城にも数えられています。


この山中城は関東の支配者である「北条氏」の城であり、そして北条氏の本城と言えば「小田原城」ですよね。つまり、小田原城に攻め込むには直線距離上では国道1号=東海道が一番距離が短いため、このルートを通るわけです。そのため、この山中城というのは「小田原城の支城」として抜群な位置にあることが分かりますよね。

山中城がどんなに良い位置に陣取っているかがこれで分かっていただけたかと思います。

 

魅力その2:北条流建築が随所に見られる


山中城は北条家3代当主である「北条氏康」によって築城されました。北条家や武田家というのは戦国の雄であり、いくつもの戦を経験してきただけあって、独自の建築技術があります。この山中城も例外ではなく、北条流の築城術が随所に見られる珍しい城なんです。さっそく、見ていきたいと思います。

 

山中城は日本100名城ということもあり、バス停や案内板がしっかりと整備されていますが、バスは本数が少ないため車で来ることをお奨めします。

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山中城跡

そして、車を降りるとすぐに見えてくるのが・・・・・やはりこれです!!!!「三つ鱗」の家紋!これを見た瞬間、北条だなぁ・・・・と思うわけです。まず、ここが感動ポイントです笑

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北条家家紋の「三つ鱗」

さて、早速城攻めをしてみましょう。この山中城、字のごとく「山の中」にあるので、なかなか広大なんです。こんな感じです。

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山中城案内図

さっそく山中城の入り口を通過すると・・・・・

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山中城入り口

山城らしい造りの連続です。左右の土手は「土塁」ですね。またゆるい坂道になっているため、攻める側はかなりきついです。写真でみるよりも実際の傾斜角度はかなりありますよ。

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土塁

そして、さっそくこの山中城の真髄です。これ、分かりますか?非常に珍しい造りになっています。表現が難しいですが、土塁の間が段々畑みたいになっていませんか??これ、「畝堀」という堀なんです。これが、山中城が名城であるが所以なんです。これは見ても分かるとおり防御策で、敵の侵入が防ぐためのものです。攻め手はこの幾重にも連なる畝堀を越えなければならず、超えている間に左右から鉄砲・矢の嵐が降ってくるわけです。

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畝堀

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畝堀写真

台風の後で通行禁止されていたため実物は目で見れませんでしたが、「畝堀」以外にも仕掛けがあるんです。それが「障子堀」です。こちらも「畝堀」と同様な防御施設で、少ない人数でしかここを渡ることができず、また障子堀の中に落ちた暁には、鉄砲や矢の嵐が飛んでくるというとんでも防御施設なんです。

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障子掘写真

ここを通りすぎると、無事本丸につくことができます。本丸は高台にあり遠くを見下ろすことができます。本当に良い位置にたてるものですよ。感心です。

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本丸

この、「畝堀」や「障子堀」などの北条流建築がかなり良い保存状態で保守されていることこそが、ここ山中城を日本100名城たらしめている要因でもあります。これは、なかなか見れないものですよ。山中城の特徴というか代名詞の一つといっても過言ではないでしょう。



魅力その3:小田原征伐により1日で落城


そして、山中城はこのような堅固な北条流築城技術を使っているにもかかわらず、歴史上では1日で落城してしまったという史実があります。その滑稽さが山中城の魅力でもあるんです。

 

「豊臣秀吉の小田原征伐」は中学・高校の歴史の教科書でも載っているのでほとんどの人が知っているでしょう。豊臣秀吉が天下統一を成し遂げようとしていた矢先、関東では「北条王国」が豊臣秀吉に対して煮え切らない態度をとっていました。それに怒った秀吉は日本全国の兵士を関東へ攻め込ませるのです。もちろん、最終目的地は北条の本城である「小田原城」です。1590年のことですね。もちろん、秀吉自身も大阪から関東へ出向きます。

 

「魅力その1」でもお伝えしたとおり、この山中城というのは東海道の要所であり、箱根の関を越えるとおり道にもあり、小田原城の支城でもありました。つまり、当然小田原城を攻めるにはこの山中城を攻めなければいけません。

 

この山中城攻めには豊臣軍約7万が攻めかかります。陣容も豪華で、大将は名目で「豊臣秀次」ですが、誰もが知っている「徳川家康」姫路城主の「池田輝政」、また「仙石秀久」等戦国時代を生き抜いた精鋭が攻めかかります。それに対する山中城は約3千で守ります。はい、7万対3千です。いかに堅固な北条流築城術であっても、その戦力の差は埋められずわずか1日で落城してしまうのです。秀吉はその後、箱根の温泉を満喫したことも有名ですよね。

 

どんなに良い城でも守るのは人間です。その人間が弱かったり、数が少なかったりしたらどんな名城でも崩れてしまいます。山中城は、そんな歴史の教訓を教えてくれる名城でもあるんです。

 

実はそんな名城が箱根のすぐそばにひっそりと佇んでいます。ぜひ、箱根や三島・沼津を訪れた際は行ってみてください。名城ですよ。




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