【日本100名城】秀吉の兵糧攻めの舞台、鳥取城は想像より遥かに壮大だった

前記事では「松江城」をご紹介しましたが、せっかく山陰地方へ来たので、これまたぜひとも来てみたかった「鳥取城」「鳥取砂丘」とセットで行ってまいりました!こちらも日本100名城となります。いや~、鳥取城は良い意味で裏切られました。というのも、こんな大規模なしっかりした城だとは思っておらず、、、かなり軽装備で挑んでしまったことを未だに後悔しています笑

前記事:【日本100名城】松江城の魅力を紹介!観光スポットであり松江のシンボルである理由とは?

 

そんな鳥取城、さっそくご紹介していきたいと思います!




鳥取城の基本情報から


鳥取城は典型的な「山城」で戦国時代真っ只中に築城されました。「久松山」という自然の地形を生かした構造となっており、登ってみた感じかなり大規模です。位置的にはこんな感じです。

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鳥取駅周辺マップ

 

鳥取駅が南で、北が鳥取城=久松山ですね。そして、このサイトでは何回も書いていますが、鳥取城の近くには鳥取県庁や地方裁判所等、公的機関がたくさんありますよね。戦国時代からの基盤が現在にも生きているんです。また、鳥取城の周辺は碁盤になっていることが分かりますよね。これも、昔のままの形です。鳥取駅の方が後からできたので、周辺の道路がいびつになっていることが分かると思います。つまり、現在でも鳥取の中心は鳥取城周辺であることが分かると思います。

 

また、鳥取城を一躍有名にしたのが「羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)による兵糧攻め(「鳥取の渇え殺し」)」ですよね。この戦いは織田家vs毛利家の戦いであり、織田家は「羽柴秀吉」が攻将、毛利家は「吉川経家」が守将となりました。地形や規模から力技で攻めるのが難しいと踏んだ秀吉は、兵糧攻めにでます。秀吉は周囲の町や村から高値で兵糧を買い込み、また城内への補給路を断ち完全封鎖を行いました。じょじょに餓死者が出始めた毛利方は、万策尽きます。最終的には守将である吉川経家の命と引き換えに、開城となり織田軍の勝利となります。この兵糧攻めの時のことをモチーフとしたゆるきゃら「かつ江さん(「渇え」)」が3日でクレーム殺到により後悔停止になったことは今でも鮮明に覚えています。

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鳥取城を背景に、吉川経家公

しかしながら、この吉川経家は今でもこの地の英雄としてあがめられています。私も、鳥取城に来たかった一番の理由は、この吉川経家公を拝むことでした。今でもこのように、鳥取城を守るがごとく、鳥取城を背景に鳥取市街方面を向いています。思い馳せ念願叶ったところで、その経家が戦った鳥取城を攻めてみたいと思います!



かなりきついぞ、鳥取城!!


鳥取城、行ってみたものはいいものの、かなりの急勾配で驚かされました!笑 感覚的には、八王子城に似ていたかなと。軽装備で行った自分を後悔したのはまさにこの時でした。

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第一門

最初はなだらかなんですが、かなりの急勾配で、その上石垣がもりもりです!地元の方にはお散歩コースとなっているらしく、朝早くから上り下りをしている方が多くいらっしゃいましたよ。

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石垣と石階段

少し登ってきたところですが、見晴らしは最高!鳥取市内が一望でき、また石垣の様子も非常によく見えます。

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絶景眺望

二の丸の少し上にある「天球丸」です。平山城部の最高所にあるので、ここからの見晴らしが一番よかったです。

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天球丸跡

ちなみに、ここからはさらに険しい急勾配になり、山頂までは約1時間かかります。こんだけ厳しい急勾配は、攻める側もそりゃ兵糧攻めにするわな、と痛感した瞬間でした。下山する時、行きかう人々から「山頂までどのくらいですか?」とよく聞かれましたが、「あと1時間くらいですよ」と言った瞬間に皆苦笑していたことを今でも覚えています。私も登るときはそんな感じだったのでしょう。

名将、吉川経家の鳥取城、まさに「夏草や兵どもが夢の跡」でした。ひと夏の、とても良き思い出です。




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