【パリ旅行前に必見】パリの観光名所を歴史の観点からまとめる

たまにやる海外の歴史シリーズです。今回のテーマは「パリ」です!「花の都パリ」なんてよく言ったものですよね。パリといえば、何を思い浮かべますか?「美しい町並み」「シャンゼリゼ通り」「凱旋門」などを思い浮かべる人が多いと思います。このサイトはあくまでも歴史のサイトなので、これらのパリの名物について「歴史の観点」から見てみたいと思います。

 

パリに行ったことない人は是非その歴史を知ってから行くと感動が倍増しますよ。また、行ったことのある人も是非記憶と知識のアップグレードをはかってみてください。「観光」と「歴史」は最強の親和性なんです。




パリの歴史とパリの意味


まず、そもそもパリってどういう街なんざましょ?というところからお話します。まず、パリというのはパリのほぼ中心にある「シテ島」から発展を遂げました。「ノートルダム大聖堂」があることでも有名ですよね。このシテ島なんですが、紀元前3世紀頃からケルト系部族の「パリシイ族」「ルテティア」という集落・町が存在していました。これが、現在のパリの古い姿です。

 

紀元前3世紀~紀元後の世界というのは、世界の中心は「ローマ帝国」です。上記の「パリシイ族」というのは、「ローマ人」から見たときの「田舎物・乱暴物」という意味なんです。それが、今の「パリ」の言葉の原型なんです。つまり、「パリ」というのは、ローマ側からの差別呼称なわけなんです。

 

そして、紀元前1世紀に「ガリア戦争」というのが勃発し、ルテティアはローマ帝国の支配下に入ります。そこからルテティア=パリはローマ文化の流入が始まるわけです。なので、ローマの街とパリの街が似ていると思う方もいると思いますが、それもそのはず。もとはといえば、パリのDNAはローマのDNAと繋がっているんです。

 

そして、時代は過ぎ行き19世紀まで飛びます。一人の政治家がパリの大改造に着手します。その名も「ジョルジュ・オスマン」。現在の美しいパリの原型を作ったのは彼であるといっても過言ではありません。パリを物流機能の面から見直し、「道の大幅な拡大」そして「小さい路地の取り壊し」を決行します。また、当時のパリはお世辞にも今のような美しさは無く、悪臭ただよう街でしたが、「上下水道の整備」によってパリの美化も推進しました。プランタンなどのデパートが建ち始めるのもこの「オスマン化」と呼ばれるパリ大改造にあわせてでした。その結果、現在のパリの姿にアップグレードされるわけです。そのため、パリを知るにはオスマンの名は欠かせません。

 

凱旋門の起源はローマ時代


「凱旋門」といえば、「パリ」の象徴ですよね。ですが、「凱旋門」ってそもそもなんだかご存知でしょうか?実は「凱旋門」ってパリだけではなく、世界各地にあるんですよ。凱旋門のそもそもの話からはじめます。

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パリのエトワール凱旋門

そもそも「凱旋門」とは軍事的勝利を称えるために作られたもので、戦争で勝った兵士達がその門を通って帰還し、その勝利を喜ぶことが起源です。そして、この「凱旋門」とう文化は古代ローマの風習なんです。もともと、このパリという土地はローマ帝国の支配化だった話は先述しましたよね?この凱旋門もしかりなんです。なので、もちろん現在のローマにも凱旋門が残っています。しかもパリよりさらに古い凱旋門です。

 

このパリの凱旋門は「エトワール凱旋門」といい、かの有名な「ナポレオン」が1836年に作ったものなんですが、ローマのコロッセオ横にある有名な「コンスタンティヌスの凱旋門」なんて315年に作られたものですからね。それを知ると、いかにパリの凱旋門が新しく、またローマの風習を受け継いでいるかがわかると思います。



エッフェル塔はパリ万博の目玉だった


次に、エッフェル塔です。東京タワーの元祖ですよね。産業革命後に立てられた電波塔です。東京タワーがエッフェル塔を基に作られているので、形が似ているのは当たり前です。では、「エッフェル」ってなんだかわかりますか?この「エッフェル」とはこのタワーの設計者である「ギュスターヴ・エッフェル」から名づけられています。日本人だと和名のタワーになってしまうので、これは洋風ネーミングのセンスのいいところですよね。

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エッフェル塔

このエッフェル塔、実は1889年の万博に間に合わせるように、急ピッチで作られたのをしっているでしょうか?すごいですよね、日本では江戸時代明けのその頃に、世界では「万博」や「電波塔」等、すでにそこまですすんでいたんですよ。万博開催に間に合ったエッフェル塔は、万博の目玉になったことは言うまでもありませんね。

 

ルーブル美術館はルーブル宮殿の中にある


そして、最後に「ルーブル」です。「ルーブル」といったら、なんといっても世界最大の美術館である「ルーブル美術館」を思い浮かべると思いますが、そもそも「ルーブル」ってなんだか知っていますでしょうか??

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ルーブル美術館入り口

そもそもルーブル美術館は「ルーブル宮殿(ルーブル城)」の敷地内にある美術館なんです。「ルーブル宮殿」とは歴代のフランス王が住んでいた城です。1682年に「ルイ14世」が郊外の「ヴェルサイユ宮殿」に遷宮するまで、フランス王家の中心はルーブル宮殿でした。

 

なので、ルーブルと言えば美術館のイメージが先行してしまいがちなんですが、そもそもルーブル宮殿の敷地なんです、ここ。あまりにもルーブル美術館が広くてそれを目的に行っているので、全体像までは俯瞰しにくいですが、蓋を開けてみたら宮殿敷地内にいた、という感じなんです。

 

さて、パリの歴史の一部をご紹介してきましたが、これらの歴史を知っていればパリ観光がより楽しく、より深くなることは間違いないと思いますよ。ぜひ、歴史の知識と共にパリ観光をお楽しみあれ!




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