滋賀県彦根市のゆるきゃら「ひこにゃん」を歴史の観点から考える
ゆるきゃら。いや~あれはかなりガラパゴス的なにおいがぷんぷんしますよね。そして瞬く間に全国区。いまではゆるきゃらグランプリなんか開催されてますからね。いろんな見方がありますが、爆発力は半端ないですね。
そんなゆるきゃらの中でも比較的早い段階に登場したのが、滋賀県彦根市のマスコットキャラクターである「ひこにゃん」です。彦根市は彦根城が有名ですが、このひこにゃん、実はかなり日本史がつめこまれたゆるきゃらなのです笑 今回はそんなひこにゃんを歴史の観点から見てみようともいます。そんな見方してる子供いないと思いますが、こういうのが面白いんです。
まずはひこにゃんのおさらいを
ではさっそくひこにゃんに登場してもらいましょう!こちらです!じゃん。
ひこにゃんには二つの特徴があります。と、いうかこの特徴だけで成り立っているといっても過言じゃありません。それは・・・
- 赤い兜をかぶっていること
- 白猫であること
兜なんてかぶっちゃってる時点で、歴史のにおいがプンプンしますよね。そりゃ歴史好きに食いつかれるわけです。では早速、この二つの謎を歴史の観点から紐解いていきたいと思います。
赤い兜の謎
まずは赤い兜の謎からです。これを解決するには、ある人物を知る必要があります。それが、「井伊直政」です。彼は、徳川四天王とも呼ばれた徳川家康の重臣で、高崎城を建設した初代高崎藩主でもあり、初代彦根藩主でもあります。幕末に「桜田門外の変」で暗殺された「井伊直弼」は彼の子孫です。井伊直弼は15代彦根藩主ですからね。また、大河ドラマ「おんな城主直虎」の主人公である井伊直虎は、井伊直政のはとこにあたります。
井伊直政は先述の通り、徳川四天王と呼ばれるくらい徳川家康の信頼厚く、武勇と政治手腕に優れていました。実は彼の率いる軍団が「井伊の赤備え」と呼ばれ、赤で統一した具足を身につけていたんです。そのため、ひこにゃんも「井伊の赤備え」として、赤い兜を身につけているわけなんですね。
ちなみに、なぜ赤備えになったのかというと、武田家滅亡後、徳川家康は旧武田領を併呑します。もちろん、旧武田家臣団も徳川に帰属するものがでてきます。武田家の「飯富虎昌」が最初の赤備えを率いたといわれており、彼の後は弟の「山県昌景」が引き継ぎます。そして、徳川に帰属した家臣団の中に旧山県隊の赤備えのものが数多くいたことから、井伊直政が赤備えを引き継ぎ、「井伊の赤備え」といわれるようになりました。赤備えは精鋭隊の証でもあり、見ただけで敵が怯むものでした。
それを引き継いだのかひこにゃんです。ひこにゃん、やるな。めっちゃ強いんだろうな。赤い兜の謎はとけました。次は白い猫の謎です。
白猫の謎
だいたい動物が出てくるときは、何かその動物がご利益をもたらしてくれた、というエピソードがつきものです。実はこの白猫もそのエピソードをもっているんです。
彦根第2代目藩主の「井伊直孝(井伊直政の次男)」のお話です。井伊直孝はある日にわか雨に降られ、江戸にある豪徳寺(現在も世田谷区に豪徳寺があります)の大木の下で雨宿りをしていました。すると目の前に白猫が。そしてなんとその白猫は手招きをしているじゃありませんか。井伊直孝は手招きをしている猫ちゃんに近寄ります。・・・その瞬間、雨宿りをしていた大木に雷が!!猫に近寄っていなかったら雷直撃コースでした。
そうして難を逃れた井伊直孝はその後、豪徳寺を菩提寺にします。しかも、その豪徳寺のエリアをなんと彦根領として認められることとなります。今で言う飛び地に近いものがあります。この招き猫伝説から、井伊家を救ってくれた白猫がひこにゃんのモチーフとなっているわけです。
赤い兜と白猫、実はかなり井伊家にちなんだ歴史がつめこまれているんです。ゆるきゃら一つとっても面白いですよね。彦根城は今だ行けてないので、いつかひこにゃん参りにいって彦根城を極めてきたいと思います。
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