嬬恋と吾妻の地名の由来はあのヤマトタケルにあった?
いや~すっかり冬本番ですね。激寒です。てやんでぃ!ということで、行ってまいりました、スノボ。冬のシーズン、1度はいかなきゃですね、雪山。
今回は、群馬県の嬬恋村にあるスキー場にいってまいりました。嬬恋はキャベツでも有名ですよね。群馬県の長野県境にあるこのあたりは、嬬恋やら吾妻やら、なにやら「妻」とか「恋」とか女性に関する文字がでてくる地名が多くあります。
これって、地名にしては珍しいと思いませんか?ということで地名シリーズ、今回は「嬬恋」と「吾妻」です。
まずは恒例、バラバラにしてみよう。まずは嬬恋。
地名シリーズの恒例行事です。まずは地名を分解してみましょう。
- 嬬恋⇒嬬と恋
まずは嬬恋です。そもそも「嬬」っていう字、あまり見たことありませんよね?
これは女偏がついていることからも想像できますが、読み方は「つま」と読みます。そして、意味としては、か弱い女性やその名の通り妻を表します。
つまり、「妻が恋しい」と考えることができます。う~ん、奥深い。
おつぎは吾妻
そして、お次に吾妻です。吾妻はJR吾妻線とかも有名ですね。草津口までいけます。
- 吾妻⇒吾と妻
これは、なんとなく想像できます。
吾とは、「我が」。つまり、「私の」という意味になります。そして妻は妻です。つまり、吾妻=「我が妻」=「私の妻」という意味であると考えることができます。
やはり、嬬恋も吾妻もなにやら妻に関係がありそうですよね。
由来はなんと有名なあの人
ネタバレします。実は、吾妻も嬬恋もどちらの地名の由来もあの「ヤマトタケル」に由来します。
ヤマトタケルは第12代景行天皇の皇子で、日本全国を征伐してまわったことで有名です。ここでいう征伐とは、朝廷に従わない諸部族のことを指します。ヤマトタケルは当時の大和朝廷を強力にした人物であることから、英雄的な扱いをされています。
地名の由来としては、こんな物語があります。悲しく切ないストーリーです。
ヤマトタケルは西日本の諸部族を鎮圧し、今度は東国の征伐に向かいます。ヤマトタケルには奥さんがおり、その名を「弟橘姫(オトタチバナヒメ)」と言いました。
ヤマトタケル一行は西国に行くにあたり、船で今の神奈川県から房総半島へ渡ろうとしました。すると突然の暴風雨に遭い、前にすすむどころか、着岸することもかなわなくなっていまいました。
そこで、妻のオトタチバナヒメはこう考えました。「戦とは男がするもの。女の自分が船に乗っているのを海神が怒ったに違いない」と。そしてなんとそのまま、妻のオトタチバナヒメは入水自殺をしてしまうのです。そうしたらなんとたちまち暴風雨は止み、ヤマトタケル一行は無事、東国につくことができました。
そして、東国征伐を終え、ヤマトタケル一行は帰路につきます。しかし、戦が終わったとたん、ヤマトタケルは妻の死を悲しみ始めます。そして、ヤマトタケルはこう叫びます。「吾嬬者耶(ああ、我妻よ!!!)」と。
このヤマトタケルが妻のことを恋しく想い、妻のことを叫んだ場所こそ、「嬬恋」・「吾妻」の地名と由来となった場所なんです。
嬬恋と吾妻、実はかなりセンシティブな切ない物語からうまれた地名だったんです。つっこみどころがある物語ですが、一つの大切な物語と歴史です。大事にしましょう。