だるまの正体は?その由来はインド人仏教僧達磨であったという話
「だるま」といえば、日本ではおなじみの存在ですよね。だるまにちなんだ言葉はそれこそたくさん溢れています。
- だるまさんが転んだ
- にらめっこ(だるまさんだるまさん、にらめっこしましょ)
- だるま落とし
でもでも、よーく考えてみてください。だるまって一体なんなんでしょうか??
赤い体に怒ってるようなしかめ面の大きな顔。七転び八起きの象徴でもあり、縁起物としても扱われますが、その正体を知っている人はほとんどいないでしょう。
そこで、今回はだるまの由来と正体についてせまります。
日本でのだるまの位置づけ
まずはおさらいです。日本ではだるまは縁起物として扱われていますよね。お正月の神社やお寺の屋台なんかでも売られているのをよく目にしますね。その中でなんといっても特に有名なのはだるまの8割を生産しているという群馬県高崎市の「高崎だるま(上州だるま)」でしょう。
だるまは選挙の当選時なんかでもよく目にしますが、願い事ができた時に片目に墨で目を描き、その願い事が成就した際にはもう片方の目に墨で目を描くという風習は今だに残っています。私ももうしばらくやってませんが、小さいころに祖母の家などで見かけた気がします。
だるまにはモデルとなる人物がいた
と、ここまではなんとなく知っている人も多いでしょう。ここからもう一歩、足を踏み入れてみましょう。実は、だるまにはモデルとなる人物が存在します。
その人物は、なんと日本人ではありません。じゃあどこの人なのか??実はそのモデルの人物、インド人なんです!普通にえっ!てなりますよね。そこで、そのお話を少々したいと思います。
だるまのモデルとなった人物は、インド人仏教僧の「達磨」という人物です。読み方はそのまま「だるま」ですね。達磨大師とも呼ばれます。
達磨に関しては出自など詳細はよく分かっていないんですが、5~6世紀に南インドで生まれたと言われています。
なぜ達磨が有名になったかというと、彼は中国の禅宗の開祖だからなんです。禅宗とは簡単に言うと、座禅を基本修行とする仏教の一派だと思ってください。達磨は中国へ布教の旅へでます。そこで紆余曲折あるわけですが、結果的に当時の中国王朝で保護され、その名を轟かせることとなります。
日本における禅宗
日本では中国におくれること数百年、13世紀頃の鎌倉時代にやっと禅宗が入ってきます。日本の禅宗では中国の禅開祖である「達磨」が重要視され、達磨をかたどった物が神聖視されます。
これが、だるまの原点となります。その他にもお札や掛け軸などもつくられますが、やはり置物というコンパクトで持ち運びも簡単なツールが爆発的なヒットの要因となったのでしょう。
だるまの形の秘密はちょっと怖い
では、だるまはなぜあのような形なんでしょうか??実はちょいと怖い話に由来しています。
まず、色からです。だるまの色は赤色ですよね?これは古来より「赤色」というのは血の色や火の色を象徴する色で、魔除けの効果があると言われてきました。なので、魔除けの意味を全面に押し出して赤色なんです。これは、別に怖くもなんともありません。
問題は顔です。だるまって、顔だけですよね??これにはちゃんとした理由があります。
先ほど述べたように、達磨は禅宗の人です。禅宗は座禅を基礎修行とみなします。もちろん、達磨も座禅で修行をつみました。当時、中国で修行をつんでいた達磨は、「面壁」といい壁に向かって座禅をくみ修行をしていました。しかし、その長さが尋常じゃありませんでした。なんと、九年もの間、面壁をしていたといわれています。これを世に「面壁九年」と呼んでいます。
驚くことなかれ、その間になんと手と足が腐り、もげてしまったと言われています。もはや、苦行中の苦行の域ですよ、これは。
そう、あのだるまは、手と足がありません。つまり、手と足が腐り落ちた姿をそのまま残しているのが、まぎれもないだるまの形なんです。
そんなだるまは今やだるまさんと呼ばれ、日本でとても親しみのある縁起物となっています。せっかくだるまさんを親しむのであれば、そのモデルとなった人物のことも知っておいてあげたくなるのは私だけでしょうか。