村上水軍登場!最後の日本三大奇襲、厳島の戦いとは?

日本三大奇襲シリーズ、ラストは「厳島の戦い」です。

<日本三大奇襲シリーズ>

【大河ドラマ おんな城主直虎】桶狭間の戦いにみる、信長奇襲戦のすごさ

桶狭間だけじゃない!日本三大奇襲の一つ、川越城の戦い(川越夜戦)

itsukuhima

 

厳島、そうです。あの日本三景の中の「宮島(厳島)」でもあるあの小さな島で戦国時代に日本三大奇襲の一つである「厳島の戦い」が勃発しました。時に1555年のことです。桶狭間の戦いの5年前ですね。

いまでこそ一大観光地となっている厳島神社ですが、そんな歴史があることを知っている人は少ないんじゃないでしょうか??

ではこの厳島の戦いの奇襲戦、どんな戦だったのでしょうか??簡単に解説したいと思います。




 

参上、毛利元就


「毛利元就」。聞いた事ありますよね??言わずとしれた戦国時代における中国地方の覇者です。三本の矢のエピソードでも有名ですね。

実はこの厳島の戦いは、毛利元就覇者へと押し上げるまさに分岐点とも言える戦いだったんです。

<戦の陣容>

  • 毛利軍→約4千~5千
  • 陶軍→約2万~3万

 

以前の記事でも書きましたが、奇襲戦の特徴はまずその兵力差です。川越夜戦ほどではないにしろ、十分に兵力差のある戦いでした。

「陶軍」とは、周防(今でいう山口県)を中心としてその近辺を所領としてた古来からの名家である「大内家」の家臣である「陶晴賢」のことを言います。

約30代続いた大内家はこの戦国時代になると家臣団をまとめることが困難になり、その中でも一際力を持っていたのがこの陶晴賢だと思ってください。

その陶晴賢は実質大内家を牛耳っていました。

 

陶晴賢にとっては、中国地方で勢力を伸ばしつつあり、台頭してきた毛利元就が邪魔でした。そこで、圧倒的な兵力差で毛利家をつぶさんがために起きた戦いが、この厳島の戦いです。いろいろ省いていますが、簡単に理解するためにもシンプルにまとめておきます。

 

では、参謀術数に優れ、知将とも名高い毛利元就は、一体どいうやって兵力差のある陶軍に勝利したのでしょうか??

 

毛利元就の二つの戦略


そこで、毛利元就は二つの戦略をとります。

 

<一つ目の戦略:地の利を奪う>

一つ目の戦略は、大軍のメリットを活かす事のできない、狭い場所におびきよせて戦うことでした。そういう場所でなら、毛利軍の少数部隊でも十二分に戦いが発揮てきると元就は考えたわけです。

そう、その狭い場所こそ「厳島(宮島)」だったんです。

厳島にいったことがある人は分かると思いますが、厳島は小島ですが平地が少なく、逆にほとんどが山地なんです。なので、大軍のメリットを封じ込めるにはうってつけの場所でした。

 

そして、毛利元就は陶軍を厳島におびき寄せるためにとった作戦はこうです。

  • 陶軍の間者・忍者に「厳島に攻め込まれたら毛利軍はやばい」と吹き込む(もともと厳島は毛利軍の拠点がありました)
  • 厳島にある宮尾城から陶軍に偽りの裏切り者を演じさせる

この作戦が見事にはまり、元就は陶晴賢の大軍を狭い厳島に誘導することに成功します。

 

<村上水軍を見方につける>

「村上海賊の娘」。いや~ヒットしましたね。もう読みましたか??

そう、村上海賊こと村上水軍は古くより瀬戸内海を縄張りとした海賊集団でした。時には権力側につき、時には権力側にとっての脅威となってきました。すなわち、瀬戸内海の向かうところ敵なしの水軍集団こそが、村上水軍なんです。

 

厳島は広島湾に浮かぶ小島です。つまり、厳島にたどり着くにはどうしても船が必要となります。

しかも、そこは瀬戸内海。村上水軍が毛利軍の見方につけば、百人力の状態でした。

そこで、毛利元就は村上水軍に対し、「一日で良いので、助勢してほしい」と協力を依頼します。

 

村上水軍側も古来より続く戦闘集団です。人の目と時代を読む力があったのでしょう。なんと、村上水軍は毛利軍に助勢することとなります。

 

最後のとどめ、奇襲


ついにこの時がきます。奇襲です。

 

厳島に陶軍を誘い込むことが成功した毛利元就は、夜にそっと厳島に乗り込むことを計画します。そのときなんと暴風雨でした。

しかし、村上水軍の力がここで発揮されます。暴風雨の中、厳島に毛利軍を渡すことに成功します。さらには暴風雨だったので、陶軍もよもや毛利軍が襲ってくるとは思いもしませんでした。油断していたのでしょう。そんな中・・・・毛利軍の奇襲がはじまります。

結果は、お分かりのとおり。毛利軍の鮮やかなまでの勝利です。

 

狭い厳島の中では逃げることも難しく、船で逃げようとしても村上水軍の餌食となる陶軍はさんさんたるものでした。

陶軍の大内水軍も村上水軍によって散々に破られ、陶晴賢は退路を立たれ、自害し果てます。

そして、毛利元就はこの戦いで一躍有名人となり、中国の覇者にまで上り詰めることに成功します。

 

この毛利元就の奇襲戦も、北条氏康の川越夜戦のように、少数だからただやみくもに奇襲にでたわではないことがよく分かると思います。

大軍相手に勝つにはどうしたらいいのか、そのための伏線を何枚も張ったうえで、最終的にとった行動が「奇襲」という結果論なんです。

 

このように、合戦は乱暴なように見えて、実は緻密なまでの頭脳戦だったりもするんです。現代でいう人のマネジメントと経営戦略に非常に似ています。

 




にほんブログ村 歴史ブログへ

You may also like...

1 件の返信

  1. 2017年4月8日

    […] 参考記事:村上水軍登場!最後の日本三大奇襲、厳島の戦いとは? […]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です