牟礼の地名の由来を簡単に解説

mure

みなさんは「牟礼」っていう地名をご存知でしょうか??「牟礼」と書いて「むれ」と読みます。東京都であれば、三鷹市に牟礼という地名がありますね。実はこの牟礼、三鷹市だけではなく、長野県や兵庫県、山口県など全国に見られる地名なんです。

私が初めて見たときは、なんかアイヌ語っぽいなーと思いましたが、よくよく調べてみたら全然的外れでした笑  と、いうことで牟礼の地名を簡単に解説していきたいと思います。なお、このサイトでは地名の由来も多く扱っていこうと考えています。地名の由来を考えることは、歴史を考える第一歩にもなりますからね。




 

第一の説:集落を表す「群れ」


この説は、そのまんまですよね。「ムレ」という発音から転じて「牟礼」と表記するようになったということは、確かに考えられます。ですが、なぜにこの難しい漢字にしたのだ?という疑問だけが残りますが笑 ですが、渡来系の人が名づけたのだと考えると、この当て字も無きにしも非ずかなと思います。

 

第二の説:古代朝鮮語の「mori,more=山」


ほら、やはり渡来系の人が名づけた説が濃厚になってきました。古代朝鮮語において、mori、moreは山を意味しました。つまり、山とはいかないまでも、高低差のある台地付近のことを「mori/more」と表現されており、そこに漢字の当て字がなされたというのは説としては濃厚ですね。ある程度筋がとおっています。

 

第三の説:森・盛


これも第二の説と関連性がありますよね。つまり、盛り上がった場所を「モリ」と表現し、そこに漢字が当てはめられたというものです。由来が古代朝鮮語か日本語か、ということになりますが、日本語は朝鮮語から影響を受けていることは間違いないことなので、第二の説と第三の説は裏表の関係であると思います。

 

総論、おそらくこうだ!


第一の説から第三の説をみるに、おそらく古代日本において、朝鮮渡来系の人々がmori,more=山に集落を築きます。平地より見晴らしがよく、水源や木の実が豊富な山や台地に集落を築くことはごくごく自然なことですからね。

その集落地名を古代朝鮮語の意味のままmoreと呼んでいました。そして、人々がさらに群れていきmoreがmureに転じ、そのmureという音に対し、中国から輸入したばかりの、今の感覚で言えばちょいと難しい「牟礼」という当て字をしました。

と、いう感じでしょうか??今となっては、名づけた人は死んでるわけであって確証はできませんが、限りなくこれではないか?という推測作業は可能です。その推測作業の過程で当時の人々の暮らしや文化を色付けすることができるわけです。地名一つとっても、考えを膨らますことができる。これが、地名歴史の面白さです。




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3件のフィードバック

  1. 名無しの旅人 より:

    1)牟礼という単語は如何にも当て字臭いですが、実際日本書紀(斉明記)にも登場する古語で「牟」「礼」も万葉仮名です。2)日本で使われる牟礼は鍋をひっくり返したような平山を意味し、九州には「〇牟礼山」の異名を持つ山が相当数存在します。3)牟礼の別の当て字、あるいは熟語、活用、比喩、転訛などは、ほぼ存在しないように思われます。そして「山(ヤマ)」「丘(オカ)」との関連も認められません(浅学御免)。なお「群れ」は村と語源を一にする単語で、例えば「村雨(=群れ+雨)」のような使われ方が残っていたりします。4)以上のことから、牟礼は明らかに外来語(=古代朝鮮語由来)であり、遅くとも飛鳥時代に伝わったと考えられます。5)なお〇牟礼山は古くから陣地・砦・あるいは城として多用されており、牟礼は軍事用語の感さえあります。6)6~7世紀における新羅らとの抗争時代に流用するようになったのではないでしょうか。長文失礼。

  2. 岡太治未 より:

    元府中市民です。

    「炎立つ」の主人公阿弖流為アテルイの相棒武将に牟礼ムレに似た名前が出てきますね。

  1. 2016年12月11日

    […] 以前の記事→牟礼の地名の由来を簡単に解説するよ […]