琉球王国の始祖?日本で初めて切腹をした源為朝とはどんな人物か?

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平安時代の末期に「源為朝(みなもとのためとも)」という武将がいます。名前の通り、源氏の者ですが、この人物、なかなか有名な人物なんです。

 

なぜ有名なのかというと、「琉球王国の始祖である」と言われていたり、「日本で始めて切腹した」人物だとも言われているんです。

 

かーなり破天荒で面白いいわくつきの人物なので、ご紹介したいと思います。




 

破天荒の幼少時代、九州制圧。


この人の何がすごいって、父親も手がつけられないほどの破天荒のやんちゃ坊主だったんです。マイルドヤンキーとは違います。ガチもんです。

 

まず、4歳の時に貴族が乗ってる牛車をひっくり返してしまいます。この頃から喧嘩三昧で悪童として名を馳せ始めます。そしてとうとう父親である源為義も手が付けられなくなり、為朝が13歳の時に九州へ下向させます。都においたままだと、何をしでかすか分からない危険度だったんです。しかし、これがさらなら為朝のやちゃぶりを発揮するきっかけとなってしまいました。

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都の窮屈な生活から開放された為朝は、九州で多いに羽を伸ばし始めます。なんと、九州各地で暴れ周り、16歳の頃には大宰府を制圧。なんと九州一体を制圧してしまいます。「鎮西八郎」と勝手に名乗り、都にもその勝手・勇猛ぶりはさらに有名なものとなっていきます。ちなみに、「八郎」とは彼が父である源為義の八男であったことに由来しています。

 

保元の乱をきっかけに都へ戻る


その頃、都では「保元の乱」というものが発生します。簡単に説明しますと、天皇派vs上皇派の身内争いです。戦好きの為朝はここぞとばかりに、九州の騎馬精鋭部隊を引き連れ、父親の為義とともに上皇方に味方することとなります。ちなみに、天皇派にはあの有名な「平清盛」がいますが、ここでも為朝は無双ぶりを発揮することとなります。

 

源為朝は強弓を引くことが有名で、なんとその弓は「五人張り」と言われています。五人張りとは簡単にいうと、大人5人で張る弓です。そこで為朝は平清盛と戦うこととなるわけですが、為朝の弓は次々と清盛の兵を倒していき、本多忠勝や呂布ばりの無双ぶりを発揮します。ついには、平清盛に「あいつとだけは戦うのを避けろ」と言わしめる始末でした。

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しかしながら、為朝の奮闘むなしく、戦いの結果は天皇派の勝利に終わります。為朝の父親である為義は斬首、為朝は弓が引けないよう腕の筋を切られたうえで、伊豆大島へ島流しとなります。

 

伊豆制圧と日本初の切腹


伊豆大島へ島流しになった為朝ですが、ここでも無双ぶりをはっきします笑 なんと腕の筋を切られた為朝ですが、あっさりと回復し、また弓が引けるようになります。そうなると、為朝は止まりません。なんと、次々と伊豆の島々を制圧していき、「為朝王国」なるものを作ってしまいます。

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それに恐怖を覚えた朝廷は、伊豆諸島へ征伐隊を派遣します。その征伐隊に対しても、強弓で船ごと沈めるなどの無双を見せた為朝ですが、多勢に無勢。ここまでかと思った為朝がとった行動こそ、日本初といわれている「切腹」でした。

 

しかし・・・・これには諸説あるんです。

 

琉球王国の始祖伝説


なんと、源為朝はその伊豆征伐隊が攻めてきた際に琉球へ逃れ、琉球王国の始祖になったと伝えられています。この源為朝の子供こそがが初代琉球王の「舜天」であると。

 

しかもこれは、『中山世鑑』や『おもろさうし』、『鎮西琉球記』・『椿説弓張月』などの歴史書において「正史」として扱われているというから驚きです。

 

沖縄県今帰仁村運天港の近くには、源為朝の石碑がたっていますよ。これを昔見たとき、なんで沖縄に源氏にまつわる石碑が建ってるんだ??と思ったことがありますが、後年、それが頭の中で繋がるとはこの時は思いもよりませんでした。これも、歴史の面白いところです。




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