たくあん漬けを開発したのは沢庵和尚(沢庵 宗彭)というお坊さんだった

takkuan

漬物といえば日本の伝統的な保存料理ですよね。塩分が多いので倦厭されがちな時代もありましたが、今では発酵を伴う漬物はその健康食品としての機能が見なおされています。

 

と、健康に関するお話はここまでで、ちゃんと歴史のお話をします。

 

今回のお話は皆さんもお好き(?)な「たくあん漬け」のお話です。たくあんと歴史の関係と聞いてピンと来ないかもしれませんが、たくあんって漢字で書くと「沢庵」って書くんです。これ、なんとな~くお坊さんの名前っぽくないですか?笑 という話をしていきます。




 

沢庵宗彭という人物について


戦国時代から江戸時代にかけての人物に「沢庵宗彭(たくあんそうほう/1573~1646)」という人がいます。ちょうど信長の死後、秀吉が天下を取り、それに代わり家康が江戸時代を開いた時まで目撃している人物という時代背景になりますね。うらやましい。

 

この人物は名前から見ても分かるとおり、臨済宗のお坊さんです。生まれは播磨国(今で言う兵庫県)の人です。この人の人生はかなり波があります。幼少の頃は父が属していた山名家が羽柴秀吉(豊臣秀吉)から攻められて父親が浪人となったり、紫衣事件という事件が勃発し出羽国(今で言う山形・秋田)へ流罪になったりしています。

 

ですが最終的には江戸幕府三代将軍の「徳川家光」の近侍となり、品川に家光が創建した「東海寺」というお寺の初代住職に就任することとなるんです。

 

沢庵宗彭とたくあん漬けの関係について


核心にせまります。このたくあん和尚とたくあん漬けの関係は一体なんなんでしょうか??沢庵が初代住職であった東海寺では、以下のように伝わっています。

初めは名も無い漬物だったが、ある時徳川家光がここを訪れた際に供したところ、たいそう気に入り、『名前がないのであれば、沢庵漬けと呼ぶべし』と言った

そう、最初は名も無いただの漬物だったのが、徳川家光が気に入り、沢庵和尚の名前から「沢庵漬け」という名前になったんです。

 

ちなみに、江戸時代中期頃になると、沢庵漬けは庶民の食卓にはかかせないものとなりますが、お侍さんには必ず「二切れ」の沢庵漬けをだす風習がありました。一切れでも三切れでもなく二切れ。その理由、分かりますか?

 

これは完全に願掛けや言葉流れの類となりますが、

  • 一切れ→人切れ
  • 三切れ→身切れ(切腹)

を連想させることから、お侍さんには二切れの沢庵漬けを出すという風習が定着していたみたいです。そういうの、実に粋で良いですよね。

個人的には沢庵であれば秋田伝統品の「いぶりがっこ」が超絶おすすめです。日本酒やワインにも合いますよ。うまいので食べすぎ、注意です。




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