伊達政宗とずんだ餅・伊達巻・伊達男・伊達メガネの関係やいかに?

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「伊達政宗」と聞いたらどんなイメージがありますか?なんとなーく眼帯をまいている「独眼竜」だとか「東北のすごい人」というイメージの方がほとんどだと思います。仙台駅前にも銅像がありますよね。

 

簡単に説明すると、そもそも「伊達家」は鎌倉時代から陸奥(東北地方)を縄張りとする名家で、中でも伊達政宗は戦国時代を乗り切り、初代仙台藩主となった言わずと知れた奥州の覇者です。織田信長や徳川家康より生まれは2~30年遅く、一回り世代がずれているため、江戸徳川体制においても、初代の家康から三代の家光まで仕えていました。

 

ですがこの政宗、かなりの野心家であり派手好きで、いってみれば普通の人ではありませんでした。今風にいうと、カリスマ的な存在と言うのが近いのかもしれませんが。そんな政宗から生まれた面白い言葉達をご紹介したいと思います。




 

料理人、伊達政宗


実は伊達政宗、大の料理好きとしても有名で、主に兵士のための兵糧開発に心を砕いていたといいます。その中で政宗が開発したものの一つが「ずんだ」だといわれています。

大河ドラマ「真田丸」でも伊達政宗が豊臣秀吉にずんだ餅を提供しているシーンがありましたが、それはこの事柄から来ています。

また、「政宗公御名語集」という書物には「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなすことである」という政宗の料理に対する世界観がかかれており、これは服部栄養専門学校の校訓ともなっているみたいですよ。後々の世界に、それくらい影響を残した人物ともいえますね。

 

食通、伊達政宗


また、伊達政宗は料理人でもありますが、それと同時に食通でもありました。そんな伊達政宗が愛した食べ物が「平玉子焼」というヒラメの肉にたまごを混ぜて焼いたもので、そこから「伊達焼」と呼ばれるようになり、それを巻いたものが「伊達巻」と呼ばれるようになりました。

確かにそうですよね、だって伊達巻って卵焼きを巻いたものですから笑

 

ド派手、伊達政宗


そして最後に「伊達男」です。この語源も伊達政宗であると言われています。伊達政宗はとにかく演出が大の得意でした。こんなエピソードがあります。

 

ある時、伊達政宗は豊臣秀吉に謀反の疑いをかけられます。まぁ、伊達政宗は実際に野心家でしたからね。その時、伊達政宗は弁明のために大阪城へ向かうわけですが、普通の人と違うのは「その恰好」でした。どんな恰好かというと、政宗自身は切腹を覚悟する白装束、部下には磔柱を持たせていたといいます。

 

そこから、ド派手で風変りな恰好をする者たちのことを「伊達者」「伊達男」というようになったと言われています。一つの謂れですが。

 

ちなみに、「伊達メガネ」も伊達政宗からとられたものと言われています。伊達政宗は珍しいもの好きで、恰好に関しても南蛮渡来なものを身に着けていたといいます。そこから、お洒落で風流なものを「伊達」と形容するようになり、お洒落メガネのことを「伊達メガネ」というようになったといわれています。

 

ここまで後世に影響を残す人物、しかも一風変わった影響を残す人はそうはいないでしょう。




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