漫画ナルトの雷切のモデルともなった、雷を切った立花道雪(戸次鑑連)とは?

katana

日本のみならず、特にフランスを中心とした全世界中で人気の忍者漫画といえば「ナルト」ですよね。なんやかんやと続き、あっというまにドラゴンボールの最終巻である42巻を抜き去り、最終的には72巻までいくという超大作となりました。私が小学生の頃からジャンプで連載されはじめ、二十歳を過ぎてもおわっていませんでしたらか、なんとまぁすごいことです。

ところで、このナルトには「雷切」という技がでてきます。作中でも「この技で雷を切ったとか切らなかったとか・・・」とでてきますが、実はこの雷切という言葉にはモデルとなった人物がいるんです。

 

その名も「戸次鑑連」、一般的には「立花道雪(たちばなどうせつ)」と呼ばれているので、ここでは立花道雪で統一します。この立花道雪は戦国時代の人物で、九州の豊後(今でいう大分県)を中心に北九州一帯に勢力を持っていた鎌倉時代から続く名門「大友家」の重臣でした。私も大好きな武将です。

 

では、この立花道雪とナルトに出てくる雷切、どういう関係があるのでしょうか?簡単に解説します。




 

雷を切って下半身不随に


立花道雪は後述しますが、武勇と統率力にすぐれた人物で、大友家の宿将級の武将でした。そんな道雪には愛刀があり、その名も「千鳥」といいました。

 

ある初夏の暑い日、道雪は大木の木陰で暑さをやわらげるために涼んでいました。すると、夏の風物詩である夕立とともに雷鳴がとどろいてきました。そして雷が雪道の目の前に落ちてきてしまいます。しかし雪道はその雷を愛刀の千鳥で切り結んだと言われています。昔は雷は雷神が落とすものだと考えられていたため、このことから雪道が雷神を切ったと言われるようになります。しかしながら、雷に打たれた雪道は下半身不随となってしまいます。

 

このことは、「大友興廃記」という江戸時代に書かれた軍記物語に精密な日にちが示されています。天文16年(1547年)6月5日、道雪35歳の時のことのようです。そして、その愛刀「千鳥」はそのことから「雷切」といわれるようになりました。私は実際目にしたことはありませんが、立花家史料館にはこの雷切が所蔵されており、雷にあたり変色したであろう痕跡が残っているみたいですよ。

 

そう、漫画ナルトでも雷切という技はまたの名を千鳥といいますが、これはこのことが由来しているんです。私は小学生ながらに、「ははん、ここからとったんだな」と思った記憶があります。小学生の私は、ナルトより先に立花道雪の方が先に出会っていましたからね笑

 

下半身不随後も連戦連勝


なにがすごいって、この道雪は向かうところ敵なしで、自身が総大将として出陣した戦はほぼ無敗です。しかも、その相手とは弱小領主相手ではなく、中国の覇者毛利家や九州三大勢力の一つである龍造寺家を相手に勝ちをおさめています。

 

あれ?道雪は下半身不随になったから戦場に出られないのでは??と思うかもしれませんが、彼は違います。なんと、道雪専用輿に乗って、戦の陣頭指揮を振るっていました。彼は自身の勇猛さだけではなく、戦術眼や軍略にもすぐれていたので、逆に後方から戦全体を操るには良かったのかもしれません。その姿は、雷神の化身と近隣大名にも恐れられるようになります。

 

主君の悲しい没落


さて、道雪の主君である大友宗麟は巧みな戦術と貿易で大友家の版図を広げた人物であり、キリシタン大名としても有名ですが、九州の覇を争うために、薩摩(今で言う鹿児島県)の島津と一大決戦を挑むことを決めます。しかし、これには道雪は頑なに反対しました。道雪には島津の屈強さが分かっていたのでしょう。

 

そして、大友宗麟は道雪の反対を押し切り、島津との戦を開始します。ちなみに、道雪はこの戦には参戦していません。そして・・・・・大友と島津は「耳川の戦い」という日本史にも残る激戦を繰り広げ、大友軍は島津軍の「釣り野伏せ」という島津伝統的な戦法にはまり、大友宗麟の惨敗に終わります。

 

そこから、大友家の没落がはじまり、島津に次々と領土を侵略されることとなります。しかし、その中でも道雪は主君大友家のために奮戦し、一歩も引くことはありませんでした。しかし、道雪も病には勝てませんでした。陣中で病を得た雪道は半年後にこの世を去ることとなります。享年73歳のことでした。

 




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