勝敗を決する時に使う「天王山」の言葉の由来とは??

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いや~今年も早いものではやくも師走ですね。そして、お正月の風物詩といえば箱根マラソン!私は見ていませんが笑 さて、箱根マラソンもそうなんですが、勝負事において勝敗が決するかの瀬戸際の時の表現としてよく「天王山」という表現を耳にしたことはないでしょか??「天下分け目の天王山」と言ったりもしますね。各スポーツの決勝戦なんかや、サッカーでいうとワールドカップの切符をかけた大一番なんかによくアナウンサーがこの表現をしたりします。

実はこの天王山という表現はとある史実にちなんだ表現なんです。今回はこの天王山の言葉の由来を探ってみましょう!




 

天王山は実在する山


まず、天王山とは架空の山ではなく、れっきとした実在する山の名前なんです。場所は京都にあり、標高270mの小高い山です。天王山の南側にはサントリーの山崎蒸留所があることで有名な通り、豊富な地下水にも恵まれた場所です。実はこの天王山こそが、天王山の言葉の由来となった山なんです。

では、この天王山で何があったのでしょうか??探ってみましょう。

 

あの有名な戦いの舞台


実はこの天王山はある有名な戦いの舞台となっています。その戦いこそが「山崎の戦い」です。あ、そういえばサントリーの山崎とも重なりますね。山崎の戦いをわからない人のためにちょいと山崎の戦いの説明を。

織田信長が明智光秀によって本能寺で討たれたのは有名なお話ですよね。いわゆる「本能寺の変」です。その本能寺の変が起こったとき、織田信長の家臣である羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は中国地方で毛利家と対陣中でした。羽柴秀吉は織田信長のかたきを討つために毛利勢と和睦。急いで京方面へと引き返します。これが有名な「中国大返し」です。

そして明智光秀と羽柴秀吉が激突します。それが「山崎の戦い」です。

 

ではなぜ天王山なのか?


山崎の戦いならば、語句表現的に「山崎」であるはずなのに、なぜ天王山なんでしょう??これは、天王山の地形に由来します。先述した通り、天王山は標高270mの小高い山です。それに加え、ふもとには川も流れ、街道もあることからいわゆる水陸交通の要となっていました。

火器を多く用いない歩兵騎馬戦術の戦いにおいては、いかに有利な地形に陣取るかが戦の優位を決定付けます。山崎の地において、この天王山はまさにその、戦の趨勢を決定付ける要所だったんです。

この要所を見抜いていた羽柴秀吉は明智光秀より先に天王山を占領し、布陣します。結果の帰着は事実の通り。羽柴秀吉に軍配があがり、その後羽柴秀吉は天下を統一するにいたります。

そのため、まさに天下をかけての戦は天王山を制する戦いでもあったことから、「天下分け目の天王山」と言われるようになったわけです。ちなみに、天王山は山崎の戦いだけではなく、南北朝時代の戦いや応仁の乱なんかでも、戦の要の地ともなっています。それほど、重要な地であり、結果を出す重要な局面場でもあったということができます。

私はまだ訪れたことはありませんが、ぜひ一度訪れたいと思っています。もちろん、山崎蒸留所も見学にいきがっつりウイスキーも決めますが笑




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