江戸時代の参勤交代は、現代日本の基礎インフラを作り上げたすごい効果がある

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江戸時代に行われていた「参勤交代」といえば、誰もが聞いたことがあるはずです。ここで、軽く参勤交代のおさらいをしておきましょう。

<参勤交代>

  • 一年毎に日本全国の藩主が江戸と藩元を行き来する制度
  • 藩主の妻と子は常時江戸の藩邸に事実上の人質として置かれている
  • 参勤交代の費用は全て藩負担
  • 江戸に行くことを「参勤」、藩元に戻ることを「交代」という

 

参勤交代はもともと儀礼的かつ慣習的な色合いが強かったんですが、三代将軍の「徳川家光」の頃に「武家諸法度」という武家統制のための法にて制度化されたものなんです。

 

この参勤交代、藩主からしてみたらめちゃくちゃ大変ですよね。江戸から近い藩は良いですが、例えば薩摩藩(鹿児島)は江戸まで行くのに約2ヶ月もの時間を要したそうです。なんせ車も飛行機もない時代ですからね。

 

また、費用の負担も莫大です。江戸と藩元を行き来する際の食事費、宿泊費、移動費等は全て自己負担ですからね。一回あたり、今の価値でいうところの億円単位が吹っ飛ぶこともありました。

 

この藩主にとってはつらい参勤交代ですが、副産物的に様々な良い効果がうまれ、それが現在の日本の基礎インフラを支えていることは、藩主にとっては皮肉は話です。では、江戸時代の参勤交代が現代の日本社会にどのような効果を与えたかを見ていきましょう。




 

街道の整備がすすむ


諸藩と江戸を行き来する際に必ず必要となるのが「道」です。隔年毎に行き来するわけですから、なるべく江戸への最短ルート、かつ平坦な道で行きたいですよね。そのためには、道の整備が必須となるわけです。なので、この江戸時代というのは日本全国の道の整備が爆発的に進みました。東海道や中山道などの「五街道」が主な例ですね。

 

現在の新幹線や電車、高速道路や国道などのルートは、これらの江戸時代に作られたルートが基盤となって作られています。語弊を恐れずに言うと、江戸時代と現代のルートの違いは、トンネルがあるか無いかくらいでしょうか。ともあれ、江戸時代の交通インフラの上に、現在の交通インフラが成り立っていることは、紛れもない事実です。

 

宿場町の整備がすすむ


江戸時代は現在と異なり飛行機や新幹線が存在しません。なので、江戸から近い藩を除き、1日で江戸につくのは到底無理ですよね。なんせ、歩いて行くんですから。そのため、寝泊りするための「宿」が必須となるわけです。ゆえに自然発生的に整備された街道沿いに「宿場町」が誕生し、発展してきます。

 

「歌川広重」が残した「東海道五十三次」は、まさに東海道における五十三もの宿場町を描いたものです。今でも「〜宿」という地名が残っていますが、これは宿場町の名残といえます。

 

そして、宿場町が栄えると、宿場町は食材や服などの物が必要となるため、市場が生まれます。市場がうまれるとそこに商人がやってくるため、商人町が生まれる等、経済圏が宿場町単位で各地に誕生していくこととなります。

 

文化交流と融合が起きる


参勤交代の本質は「人・物・金の積極的な移動と交流」です。閉鎖的な空間であれば、ガラパゴス的な文化が栄えますが、それ以上に昇華することはありません。逆に、人・物・金が交流するということは、それぞれの文化が融合するということです。

 

文化が融合するということは、新たな文化やインスピレーション・制度が発生し、文化が隆盛します。そのため、江戸時代は日本史史上例を見ない独自の文化や発明品、制度がうまれた時代でもあります。「平和な時代だから、文化が発展して当たり前じゃないか!」という人もいるかもしれませんが、いくら平和な時代であっても人・物・金が交流しないと、閉鎖的な空間となってしまうため、新たな経済圏も文化も隆盛しません。

 

人・物・金の移動は、経済活動の原点です。現代社会の基盤である経済活動の原点を作ったのは、まさに江戸時代の参勤交代が代表例の一つであると言えるでしょう。

最近では参勤交代をテーマとした映画もで出ます。私はまだ見てませんが、、、面白いのかな?笑




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