ラッパのマークで有名な「正露丸」は「征露丸」だった?正露丸の歴史は日露戦争までさかのぼる

kusuri

本日はちょっとした子ネタです。日本でも最も知名度の高い薬の一つといえば、ラッパのマークの大正製薬でお馴染みの「正露丸」ですよね?私はほとんど服用したことはありませんが、胃腸がゆるいときや胃腸がよわっている時の強い味方?という認識です。使ったことがほぼないので間違っていたらごめんなさい笑

 

どちらかというと私が言いたいのはそこではなく、「正露丸」って面白い漢字だとおもいませんか?分解すると・・・・

<正露丸の漢字の分解>

  • 「正」・・・・正しい
  • 「露」・・・・ロシア
  • 「丸」・・・・薬

となります。一体全体、これはどういうことなんざましょ?ということで、実は正露丸は日本の歴史にからませて考えると面白いんです。そんな、正露丸を日本の歴史にからめて説明します。




 

ポイントは日露戦争にある!


正露丸が発売されたのは1902年のことですが、この時は今の名称である「正露丸」ではありませんでした。いや、正確に言うと読み方は同じなんですが、漢字が違ったんです。その名も・・・・「征露丸」です!!!ではこれは何を意味するのか・・・・・この謎を解く鍵となるのが、征露丸が発売された年である1902年の2年後におきた、とある事件です。そう、「日露戦争」です。

もうここまできたら、勘のいい人は分かりますよね。「征露丸」とは・・・・

<正露丸の漢字の分解>

  • 「征」・・・・征服する
  • 「露」・・・・ロシア
  • 「丸」・・・・薬

となります。つまり、「征露丸」の正体とは、「日露戦争の際に、陸海軍兵士に配られた胃腸薬」だったんです。

 

日露戦争といったら有名なのが、東郷平八郎率いる日本艦隊がロシアのバルチック艦隊を破った「日本海海戦」でしょう。小国であり極東アジアの後進国である日本がロシアに海戦で勝ったニュースは当時世界を驚かせました。

 

この日本海海戦があまりにも有名なため、日露戦争=海戦というイメージがありますが、実は全然そうではありません。陸軍は陸軍で「旅順攻囲戦」や「奉天会戦」等の激戦が大陸で繰り広げられていました。そして、大陸の冬はなによりも極寒です。食べ物も現地調達等あたりまえの時代でもあります。そんな外部要因でお腹を壊し、戦えなくなってしまったら兵力毀損も甚だしい事態となります。そこで投入されたのが何を隠そう「征露丸」なんです。兵士の胃腸を守るために。

 

そう、ロシアと戦っていたから「征露丸」なんです。



いつ「正露丸」になったのか?


第二次世界大戦を経て、日本は敗戦国となります。日本は敗戦国の立場から、一からの再出発となりました。もちろん、国際関係上、各国とも仲良くしなければいけませんし、なによりも戦後の世界は自由貿易がよりワールドワイドに展開されていきます。そんな中、まだ「征露丸」なんて言葉を使っていたらぶっそうですよね??それに、当時の日本はロシアとも国交を回復せねばなりませんでした。

 

そこで1949年に「征露丸」は「正露丸」と改名され、今に至ります。改名された経緯は、歴史の流れを考えたら当然っちゃ当然の帰結ですよね。ちなみに、「ラッパのマークの大正製薬」の「ラッパのマーク」とは、旧日本陸軍が使っていたラッパが由来ではないか?とも言われていますが、これは公式の発表はありません。ですが、そういうことだと思います。

そんな、正露丸を日本史とからめたお話でした。




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1 件の返信

  1. かずきよ より:

    大正製薬は「ワシのマーク」で、正露丸のラッパのマークは「大幸薬品」です。