「一休さん」の実在モデルである「一休宗純」。そのやばい性格とは?

「一休さん」といえば、「このはし渡るべからず」や「屏風の虎」などの難題を次々と「とんち」で解決する子坊主のイメージがあると思います!アニメの主題歌もあの独特のメロディーと歌詞は非常に印象に残りますよね。

 

さて、その一休さんなんですが、モデルとなった人物がいます。その名も「一休宗純」というお坊さんで、室町時代の人物です。時代としては室町幕府8代将軍の「足利義政」の頃ですね。肖像画が残っているので、見たことある方もいると思います。こんな感じです。

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一休宗純画

この肖像画がなにかとネットで「槇原敬之に似ている」と騒がれているこの「一休宗純」ですが、京都・大徳寺の再興等数々の立派な業績を残しています。ではなぜ、一休宗純が「とんちの一休さん像」として、後世に伝えられたのでしょうか?彼のその性格から解き明かしたいと思います。




本当に坊主?破天荒そのもの


実はこの一休宗純、普通のお坊さんじゃないんです。というのも、その性格が破天荒そのもので、普通のお坊さん像とはかなり異なります。例えば・・・

<一休宗純のやばい性格>

  • カラスの声を聞いて「悟りを開いた」と言う
  • (坊主なのに)肉を食べ、酒に溺れる
  • 禁欲は一切せず(晩年になっても)
  • 木刀を振り回す
  • 大切な証明書や書物を燃やす
  • 正月に杖の頭にドクロをしつらえ、「ご用心、ご用心」と叫びながら徘徊する
  • 阿弥陀如来像を枕にして寝る
  • 晩年、「死にたくねーーー」と叫ぶ

やばいですよね笑 いってみれば、お坊さんの戒律をガン無視した「破戒僧」です。もはや奇行レベルです。そして一休宗純のすごいのは先述した奇行だけではないんです。なんと時の幕府である足利将軍や金銭で動く仏教界を批判しまくっていました。




とんちの一休さん像はどうやってうまれたか?


では、このような「ぶっとんでる性格」の一休宗純がなぜ後世の「とんちの一休さん像」になったのでしょうか?現在のいわゆる「一休さん像」が定着したのが江戸時代の頃です。このような説話というのは民衆の中からうまれるんです。と、いうことは既に江戸時代の人々の一休さんというのはそのようなユーモアがありとんちの一休さん像だったということです。

 

と、いうことはですよ?一休宗純というのはとても民衆に人気があったということなんです。なぜか?それは二つの理由があるからだと思います。一つ目は「破戒僧」であること。というのも、人間的に少しぶっ飛んでるほうが、注目されたり人気がでることが多いです。そして、二つ目の方が大事です。それは、「足利将軍や仏教界を批判しまくったから」です。

 

これも「破戒僧」であることの要因なんですが。つまり「時の権力を皮肉・批判する」ということは「民衆の味方である」ということです。だって、なかなか言えないですよね?権力者に対する批判というのは。その、臆することない発言ゆえに民衆の人気が高まり、さらにその奇行の数々から、「とんち像」がうまれたのではないか、と考えています。

 

これは蛇足ですが、「時の権力者をどうどうと批判することができた」理由については、「後小松天皇の落胤ではないか?」と言われています。つまり、「天皇の隠し子」みたいなもんですね。それゆえ、そのような時の権力者の悪口をどうどうと言うわりに、そのお咎めがなかったのでは?という推察です。

 

いずれにせよ、現在の一休さん像はそれはそれで大事にしなければなりません。それもまた、歴史です。




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