佐竹氏の家紋「扇に月」の由来を簡単に解説

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家紋は日本の歴史を語るうえで、欠かせないものです。自分の家の象徴であり、戦などでは、誰がどこにいるか一目瞭然で分かる画期的なツールでした。今ではそのデザイン性が高い評価を受けており、ルイヴィトンのモノグラムは日本の家紋をモチーフにしていることも有名な話です。

その家紋ですが、実に多くの家紋が存在します。そりゃそうですよね、家の数だけ家紋があるようなもんですから。このサイトではそのうち有名どころを時々ピックアップしてご紹介したいと思います。まず最初は以前の記事でもふれた、源氏の有力大名である「佐竹氏」の家紋「扇に月」からいきます。

参照記事秋田美人の由来と理由を歴史の観点から考える




 

佐竹氏のルーツ


佐竹氏は清和源氏の流れを汲み、平安時代の頃から常陸国(現在の茨城県)の有力豪族として名を轟かせていました。佐竹氏というと、秋田県のイメージがある方が多いと思います。現在の秋田県知事も佐竹さんですからね、佐竹敬久さん。いやマジで佐竹氏の子孫の方ですよ。佐竹北家21代目の方みたいです。なぜ秋田に佐竹氏がうつってきたかは、上述の参考記事をお読みいただければわかりますよ。

 

つまりまとめると、佐竹氏は以下のポイントをおさえておいてもらえば結構です。

  • 源氏の有力な名家であり(ルーツも古い)
  • 平安時代より常陸国に強い地盤をもっていた

 

佐竹氏の家紋「扇に月」


そんな佐竹氏の家紋がこちら、かなり特徴的ですよ。その名も「扇に月」です。

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家紋には植物や動物、図形などが描かれることが多いんですが、佐竹氏の家紋である「扇に月」はかなり特徴的なデザインです。まず扇が非常にユニークですよね。ではなぜ佐竹氏の家紋が扇に月となったのかを説明したいと思います。

 

時は鎌倉時代、源頼朝の奥州合戦(奥州藤原氏討伐)の折のお話です。西暦1200年よりちょい前の話ですね。源氏の流れをくむ佐竹氏も源頼朝に従い、この奥州合戦に参加します。源頼朝の軍旗は源氏の白旗とも呼ばれる、無地の白旗でした。ところが、同じ源氏である佐竹氏もなんと白旗で参陣。源頼朝とがんかぶりしてしまったわけです。

 

源頼朝はこれを咎めたといいます。そこで、その時参陣していた佐竹秀義に対し、源頼朝は扇を授けます。その扇には月が描かれていました。扇は古来より魔よけとしても扱われていました。そこでこういうわけです。「自分の白旗と紛らわしいから、その扇を白旗にかかげろぃ!」と。まさに、佐竹氏の家紋である扇に月がうまれた瞬間でした。

 

その後、佐竹氏は室町、戦国時代、江戸時代とせまりくる時代を乗り越えます。お家断絶や改易となる大名が多い中、平安時代より存続している名実ともに名家となります。そして今の時代、県知事としてその血脈が受け継がれているのは、生きる歴史そのものでしょう。




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