秋田美人の由来と理由を歴史の観点から考える

akita

「秋田美人」って言葉を聞いたことがあるでしょうか??意味はそのまんまで、秋田には美人さんが多いという意味で使われますが、例えば芸能人だと佐々木希や加藤夏希、檀蜜なんかが有名ですね。乃木坂46の生駒里奈なんかもそうですね

秋田は日本で日照時間が一番短いことから、色白の人が多いため美人が多いとも言われていますが、ここでは秋田美人と言われる由来を歴史の観点から見てみようと思います。




 

佐竹義宣が美人を秋田につれてきた説


これは俗説として有名です。戦国時代、常陸の国(今でいう茨城県)は佐竹氏という大名が治めていました。佐竹氏は源平合戦の頃にも活躍が見られる源氏の名家でもあり、佐竹氏の家紋である「扇に月」は、源頼朝より白旗に扇をつけよと言われたことに由来しています。

 

ともあれ、佐竹氏はもともと常陸の国の大名なんですが、石田光成と徳川家康が争った関ケ原の戦いをきっかけにして事件がおこります。佐竹氏はこの天下分け目の戦で、いろんな見方がありますが簡単に言うとどちらともつかずの態度をとります。その結果、佐竹氏は出羽の国(今でいう秋田県)に転封となります。

 

これは、事実上の格下げです。気候が良い常陸に比べ、出羽は雪国です。また、常陸は54万石なのに対し、出羽は20万石です。サラリーマンでいうと、給料が半分以下になってうえに、北国に転勤となったわけです。

 

当時の佐竹氏は佐竹義宣といい、佐竹氏19代目の当主です。さらにこの人物の父親は鬼義重といわれる佐竹氏最大版図を築いた人物でもあり、かつ伊達政宗が従弟だったりと佐竹氏順風満帆の時代です。そんな最中に給料カットのうえ、転勤となったわけです。たまったもんじゃないよ、という腹いせに出羽に引っ越しをするときに、常陸中の美人を連れていったという逸話が残っています。

 

そのため、秋田には美人が多いといわれた所以の一つとなっています。俗説ですが、なかなか面白いですよね。

 

大陸からのDNA


秋田には日本人離れした西欧風の顔立ちや目鼻立ちが通った人が多い傾向にあります。それは、歴史的にみて秋田の地理が深くかかわっています。

 

秋田は日本海側に位置しており、日本海には「対馬海流」が流れています。対馬海流とは名前の通り対馬から北海道に向かう海流であるため、例えば船で一度流れに乗ると南からどんどん北上していくわけです。

 

そのまま海流に乗ると北海道までいくわけですが、秋田には特徴的な半島があります。それが、「男鹿半島」です。なだらかな日本海側にぼこっとでっぱった、いわゆる杭がささっているような地形が男鹿半島なんです。つまり、大陸からの漂流船などは男鹿半島に漂着する可能性が高いんです。

 

古くから、日本は大陸と交流や商売をしていました。もちろん昔は飛行機なんてないので、使う輸送手段は船オンリーです。朝鮮半島から対馬を抜け、九州にたどり着けばいいんですが、玄界灘はとても荒れます。仮に船がコントロールを失った場合、対馬海流に流されてしまうわけです。その終着点が男鹿半島である可能性はふんだんにあります。

 

そのため、大陸の血が現地の血と混ざり、日本人離れした顔立ちの人が多く、それらの人々が今でいう秋田美人と呼ばれるようになった可能性は十分に考えられます。

 

もちろん、秋田美人の由来に関しては様々な説がありますが、歴史を観点に考えると、なかなかうなづける部分もあるかと思います。個人的には、男鹿半島が一つの大きなファクターなんじゃないかと思っています。

 




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2件のフィードバック

  1. 2016年12月17日

    […] 参照記事:秋田美人の由来と理由を歴史の観点から考える […]

  2. 2017年4月21日

    […] 参考記事:秋田美人の由来と理由を歴史の観点から考える […]