花火を見た最初の有名人は伊達政宗と徳川家康?日本の花火の歴史について解説

hanabi

いや~今日は暑かったですね!5月なのに夏日でした。まだ夜は涼しいですが、これから梅雨に入り本格的な夏に突入します。寝苦しい夜が続きますが、良くも悪くもこれが日本の四季です。これが無くなったら無くなったでいやですよね、なんか。どうせなら四季を楽しみましょ。

 

そして!少し早いですが夏の風物詩といえば「花火」ですよね。日本の夏を語る上で花火は絶対欠かせません。今年はどこの花火を見に行こうかと悩みどころですが、今日の本題はそんな日本の花火の歴史です。さっそく、いきましょう。




 

日本で最初に花火を見た有名人は?


花火は日本のものだと思われがちですが、実はそうではありません。花火に欠かせないのは「火薬」ですよね?火薬は大陸で発明され、それが日本に入ってくるわけです。火縄銃が上陸した戦国時代のちょいと前より、大陸から花火がちょこちょこ入ってきていたみたいですが、記録として残っている日本で最初に花火を見た有名人は「伊達政宗」と「徳川家康」と言われています。

 

詳しく説明しますと、伊達政宗は1589年の8月17日に居城である米沢城で唐人(中国)による花火を鑑賞したと記録に残っています。また、徳川家康は1613年に終の棲家とした駿府城でイギリス人による花火の鑑賞を行ったとこちらも記録に残っています。この頃の花火というのは筒状のものから火の粉が噴出すタイプのもので、打ち上げ花火とはまた違う花火だったみたいですよ。

 

花火が公式行事となったのは?


江戸時代に入り、花火専門店が誕生したことを皮切りに一般庶民にも花火が普及しはじめます。ですが、花火って一つ間違えれば大火事の危険がありますよね?ましてや江戸時代はほとんどが木造の家屋です。そこで江戸幕府は1648年に隅田川以外での花火の禁止の触れを出しています。このことからも、花火が一般庶民の間で流行していたことが伺えます。

 

そして、暴れん坊将軍として有名な8代将軍の徳川吉宗の頃に隅田川で花火が公式に打ち上げられることとなります。これが1733年のことでした。実はこれには訳があるんです。この隅田川の花火が始まった前年の1732年、日本全国で農作物の不作による飢饉とコレラが蔓延し、多数の死者が出てしまいました。

 

そう、この1733年の隅田川の花火というのは、飢饉とコレラによる死者の魂を鎮魂するための行事だったんです。想像してみてください。喧騒の無い静寂な川辺で、人の歓声も無く花火が打ち上げられる。鎮魂の様相を呈していますよね、間違いなく。

 

よく聞く「鍵屋」と「玉屋」って??


花火大会とかに行くとよく「たまや~」とか「かぎや~」って叫んでる人、見たことないですか?だいたいおっちゃんですよね、叫んでるの。いかん、偏見か。このいずれも漢字で書くと「玉屋」と「鍵屋」と書きます。

 

先ほど江戸時代に入り、花火専門店が誕生したと説明しましたが、この花火専門店の中に「鍵屋」と「玉屋」が存在します。つまり、花火屋の屋号ですね。そして江戸の花火大会において上流を玉屋、下流を鍵屋が受け持つことによりこの花火集団の二台巨頭が有名となったわけです。

 

そして、現在でも続いているのは玉屋と鍵屋のうち「鍵屋」だけなんです。というのも、1843年に玉屋は失火により江戸払いとなってしまうんです。ここに玉屋の歴史は幕を下ろしてしまうんです。

<鍵屋サイト>

 

さて、人生は一度きりです。夏の風物詩花火、精一杯楽しみましょう!




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