大河ドラマおんな城主直虎 井伊直虎と徳川家康の関係は?

taiga

第一回の放送後、賛否両論の嵐が吹き荒れた大河ドラマおんな城主直虎。個人的には1回だけではなにもわからないと思っています。ことに、真田丸のような視聴者にとって見やすいように作られたドラマと比較してしまうと、比較の軸が「見やすさ」だけとなってしまうので注意が必要です。

 

さて、まだ劇中ではでてきてませんがこの物語でのキーパーソンの一人が「徳川家康」です。真田丸では「徳川家康」という完成体で登場していましたが、井伊直虎の時代はまだまだ完成対じゃないんです。フリーザでいううと変身前の初期の姿ですな。なので、一度この徳川家康についておさらいしておきたいと思います。




 

徳川家康の幼少時代は人質時代


徳川家康の少年~青年時代は決して恵まれたものではありませんでした。というのも、この徳川家康はもともと「松平家」という家で、この家は三河(今でいう愛知県)の一土豪に過ぎない存在でした。そして、松平家は周囲を強豪である今川家と織田家に挟まれています。

 

家康の頃の松平家は今川家傘下にありました。ですが、今川家からしてみたら外様中の外様。つまり、譜代の家臣ではないということです。なので、外様の家臣が人質を主人に送ることがあたりまえの時代、幼少期の家康(竹千代)も今川義元の元へ人質に送られます。しかしここで事件が。家臣の一人が裏切り、竹千代は織田家へ渡されることとなります。その後、竹千代は今川義元の元へ人質として戻されることとなりますが、つまりここでのポイントは「徳川家康は幼少時代、織田家と今川家の二つの大名の下で人質生活を送った」ということです。

 

ちなみに、この織田家人質時代に家康は幼少期の織田信長に出会いよしみを通じます。それがその後の織田・徳川同盟へと発展していくこととなるんです。

 

徳川家康の独立


1560年、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれます。徳川家康は今川軍によって放棄された岡崎城に入場し、翌年独立をする。このころは松平元康といいましたが、ここに一大名としての徳川家康がやっと誕生したというわけです。そして、その翌年に織田家と同盟を結びます。これが有名な「清州同盟」です。1562年のことでした。

 

では、井伊直虎と徳川家康の接点はどこにあるのでしょうか??みていきます。

 

井伊直虎と徳川家康


井伊家はドラマ中でもある通り、今川家の家臣ですよね。その今川家の当主である今川義元が桶狭間の戦いで1560年に織田信長に討たれてしまいます。その今川義元の跡を継いだのが、「今川氏真」という人物です。この人物、戦国大名の今川家を潰してしまった人物なので全体的に良い描かれ方がなく残念なタイプの人なんですが、井伊家はこの今川氏真の支配下にいまだに残ります。

 

これもなんとなくドラマで匂っていますが、井伊家の中には今川派と反今川派がいます。そして、とある事件が勃発し、半今川派はお隣の徳川家康に介入を依頼するんです。そこで何が起きるかはお楽しみでとっといてください。ちなみに史実に照らすと1568年のことです。

 

その後、徳川家と井伊家はきっても切れない関係となるんですが、それはまだずいぶん先のお話でしょう。ですが、「徳川家康」が一つの重要なキーパーソンになることは間違いないので、前提として頭の中で整理しておきましょう。




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