【大河ドラマ おんな城主直虎のそれはなぜ?】なぜ今川義元は公家姿なのか?
さぁ、大河ドラマ「おんな城主直虎」、はじまりましたね!いかがだったでしょうか??だいたい大河ドラマの一回目というのは、いつも家族関係やその取り巻き(いまでいうステークホルダー)を理解するのに時間がかかるため、ちと大変なんです。ですが、2回目、3回目からじょじょにわかってくるので、1回目でわからなかった方も3回目くらいまで我慢してみましょう。そのうち、よくわかってきますよ。また、頭の整理が必要!という方は、ポイントを押さえた記事を書いとりますので、参考にしてみてください。
<参考記事>
日本一簡単な大河解説!「おんな城主直虎」のポイントをおさえておこう
さて、物語のあらすじや感想を述べてもあまり面白くないので、今回からは「大河ドラマのそれはなぜ?」シリーズを書いていきたいと思います。今回は「今川義元」です。1回目では数秒の登場シーンしかありませんでした。演じているのは笑点でもお馴染みの「春風亭昇太」です。まず、見た目がちょーインパクトありませんでしたか??眉毛がマロ風になっています。そう、公家感がプンプンでていましたよね??今回はなぜ今川義元がこんな感じに描かれているのかを解説します。
そもそも今川義元とはどんな人物??
皆さんの今川義元のイメージってどんな感じでしょうか??あまり名前を聞いたこともないと思いますが、一番有名なのは「桶狭間の戦い」ではないでしょうか。京へ上洛中の今川義元をまだ全国的にも有名でなかった寡兵の織田信長が桶狭間において奇襲をし、破った戦いです。そこから織田信長の知名度は全国区へ上昇するといった感じです。
桶狭間の戦いでは諸説ありますが、今川軍は3万~4万、織田軍は3千~5千です。ここだけ見ると、今川義元はダメダメに見えますが、彼は今川家の中でも非常に優秀なんです。
- 積極的な外交政策により、自国安定化(北条家と武田家との三国同盟成立)
- 寄親/寄子制度を制定し、合理的な軍事改革を実現(今川家の領土拡大を実現)
彼は積極的な勢力拡大を行い、「海道一の弓取り」と評されます。これは、東海道での勇士であることを表現しており、今川家を強力な戦国大名まで押し上げた功績として称えられています。
公家として描かれている理由
そんな強力で強大な今川義元がなぜ弱々しい公家の姿で描かれているのでしょうか??それにはいくつか理由があります。
<将軍家の流れをくむ>
一つ目はその血筋です。今川家は実は「足利家」の分家です。足利といえは足利尊氏で有名ですよね。そう、将軍家です。この今川義元の時代も足利将軍の時代です。そのため、朝廷に近い今川義元は、公家文化に精通していたといわれており、公家を招いたりしていたそうです。彼自身も和歌や茶道などの文化人でした。つまり、教養があったということです。
<織田信長に負けたイメージが強い>
二つ目は、やはり桶狭間のイメージです。これが強すぎます。彼は近隣の武田信玄や北条氏康と堂々と渡り合っていた強大な人なので、少数の織田信長に敗れてしまった。凄惨な負け方だったので、そこだけが取り上げられ、まさに文字通り命取りになり、イメージ的に弱々しく描かれてしまっているのは事実だと思います。
つまり、足利家の通じる公家のイメージと、少数の信長に負けたイメージから、戦などとは程遠い弱々しい公家のイメージで描かれてしまっているのは事実だと思います。
だが、描かれ方が変わってきた
ですが、ここ近年今川義元の評価は変わってきています。先ほど私が書いたように、今川義元は数々の功績を残したばかりか、今川家を強力な戦国大名に引き上げた人です。そのため、描かれ方もかわってきました。例えば、2007年大河ドラマ「風林火山」での今川義元はこんな感じです。
出典:http://sengokushikenkyu.seesaa.net
イケメンとして描かれています。谷原章介が演じています。これはまさに英雄今川義元として描かれていますよね。
ではなぜまた公家風に描かれているのか?
おそらくですが、主人公井伊直虎のいる井伊家からしてみたら、今川家は自分の領地を占領した憎き対象です。そして、井伊家はその後今川家から独立した徳川家の家臣となります。そのため、今川義元を醜くて悪辣なイメージとして仕立て上げているのでしょう。
ですが、最近の研究によって今川義元の評価はとても良い方向に向かっています。谷原さんの今川義元はなかなかよかっただけに、この落差。また今川義元のイメージが弱いダメダメな公家になってしまうが残念なのは私だけでしょうか笑
次回からも大河なぜ?を書いていこうと思います。お楽しみに!
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