テルマエ・ロマエに学ぶ、お風呂の語源となったイギリスのバースとローマ帝国の関係とは?

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お風呂のことを英語でなんて言うでしょうか?中学校で習いますよね、そう「bath」です。カタカナだと「バス」ですよね。これはほとんどの人が答えられるでしょう。

 

では、そのバスの語源はなんだかご存知でしょうか??実は、バスの語源はローマ帝国と非常に深いかかわりがあるんです。最近はローマ関連の記事が多いですが、お風呂の歴史はローマ帝国の歴史でもあるのでご紹介したいと思います。




 

ローマ帝国といえば大衆浴場!


映画「テルマエ・ロマエ」ですっかりと定着したイメージこそが、「ローマ帝国=大衆浴場文化」だと思います。古代ローマ人は大衆浴場に対する想いが強く、1日1~2時間どころか、半日~終日過ごすことが当たり前の世界でした。もはや、文化ですね。「テルマエ」とは公衆浴場のことを指しますが、そのテルマエでローマ人達は仲間とコミュニケーションをとったり、リラックスして過ごしていました。

私も先日ローマに訪れましたが、まず驚くのはローマの中心駅である「テルミニ駅」を降りたらすぐ真ん前に「ディオクレティアヌス帝の浴場遺跡」があることです。2000年前の公衆浴場の遺跡ですよ??言ってみれば、「東京駅の目の前に2000年前のヤマト人の銭湯遺跡がある」ようなもんです。そんなの日本にありゃしません。

 

それ以外にもローマの街を歩いているとローマ帝国時代の公衆浴場遺跡をちょこちょこ目にすることができます。「カラカラ浴場」「トラヤヌス浴場」なんかが有名どころですね。どちらも有名なローマ皇帝の名前です。日本で考えたら古代の天皇の名前+浴場、みたいな感じです。ちょいと例えが変ですが。

 

何が言いたいかというと、それくらい古代ローマ人にとって浴場は文化であり生活に密着していたとこうことです。

 

バスの語源となったイギリスのバース


先述しましたが、イギリスのイングランド西部に「バース(bath)」という町があります。この町の名前こそがお風呂の語源となった町なんですが、実はこの街はローマ帝国と非常に深いかかわりがあるんです。

 

ローマ帝国といえば、強力な軍隊と機動力を原動とした植民地支配でも有名です。最大版図は南は北アフリカ、北は現在のヨーロッパ北部までもそのローマ帝国の影響下でした。フランスのパリもローマ帝国時代は「ルテティア」といい、ローマ帝国の植民地でした。

 

そのローマ帝国はヨーロッパ大陸だけではなく、現在のイギリスにも攻め入り、植民地としていたんです。その名も「ブリタンニア」と呼ばれ、ローマ帝国の属州として扱われていました。ここまで来れば、ピンとくる方もいるかもしれません。

 

ローマ人は植民地にした土地に建築技術や生活習慣に至るまでのローマ帝国文化を根付かせていきます。そして、これも先述しましたが、ローマ人にとって大衆浴場は無くてはならないものでした。ブリタンニアを支配していたローマ人はバースという土地で良い温泉を見つけ、一大温浴施設をつくります。実はバースはローマ人支配以前から温泉が湧いており、現在でも温泉施設が存在するんです。

 

その後、ローマ帝国は衰退の一途をたどりますが、バースの温泉と温浴文化は脈々と受け継がれ、ついにはお風呂の語源となりました。もともと温浴文化というのはギリシャ文化が発端であり、それを侵略したのがローマ人ともいわれていますが、公衆浴場として成立させ、コミュニケーションの場としての文化にまで昇華させたのは紛れもなくローマ人の功績だと思います。

 

蛇足ですが、私ももちろん温泉が大好きな日本人の一人で、テルマエ・ロマエに出てくる日本の温泉はすべてクリアしました。温泉大国日本ですが、ローマ帝国から学ぶべきところはたくさんあります。




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