上信越自動車道を通るなら「川中島の戦い」と「六文銭」が見える松代パーキングに寄ろう!

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意外と思われるかもしれませんが、長野県は歴史の宝庫です。山に囲まれながらも中山道等の交通の要所であり、また戦国時代では各地で激戦が繰り広げられてきました。上田城、深志城(松本城)、小諸城、葛尾城、戸石城などの名城もオンパレードです。

 

そんな長野で先日「上信越自動車道」を通る機会があり、その時に休憩で寄った「松代パーキング」が想定外の歴史を感じられるパーキングだったので、ご紹介します。高速道路からも歴史の片鱗が垣間見える長野県、とても良いです。こういうの、もっと増やして欲しいですね。




 

まずは松代の位置を確認


まずは、松代の位置を確認しましょう。松代は長野県のわりと北部でこのあたりです。松本城のある松本よりさらに北です。どちらかというと新潟県寄りですね。

 

次に、松代パーキング(PA)あたりの地図を拡大してみましょう。こちらです。ここで、歴史に詳しい人は何かに気付きませんか??

私は家に帰ってこの地図を見たとき、まず初めに注目したのが「妻女山」「千曲川」です!そして次に注目したのが「松代城跡」「真田邸」です!この時点で「ははーん、なるほど。松代PAはそういうことだったのか・・・」と全てが繋がりました。これ、どういうことが説明します。個人的には「妻女山」という文字を見たとき、一番興奮しましたが笑 なんせこの山は・・・あの有名な山だからです。

 

松代PAにあったものとは


最初の写真でネタばれしてしまっていますが、松代PAは戦国時代の中でも一番有名な合戦の一つである「川中島の戦い」の舞台となった場所なんです。甲斐の「武田信玄」と越後の「上杉謙信」という戦国最強の二人が戦ったまさに名戦です。「甲斐の虎」「越後の竜」と呼ばれていた二人、「竜虎相打つ」とはまさにこのことですね。

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川中島合戦図(ずれてるのが気になる・・・)

 

松代PAはその川中島の合戦はなんともユーモアを効かせた形でその川中島の戦いを表現しています。それがこちらです。どどんっ!!!

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これ、遠くから見ると「なんのこっちゃ??」ですよね??笑 私も遠くから見たとき「もしかしたらこういうことかな?」と思っていたのですが、次の写真のものをみたら「やはりな」と確信に変わりました。それがこちらです。

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石図の説明

 

そう、なんと先ほどの石は「川中島の戦いにおける両陣営の布陣図」だったんです!これ、すごくないですか??

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遠めに見た感じ




川中島の戦いをとても簡単に解説


めちゃくちゃはしょりつつも、とても簡単に川中島の戦いを解説します。まず武田信玄は本陣を率いて武田四天王の一人である「高坂昌信」が守る「海津城」に入城します。この海津城が現在の「松代城」です。武田信玄は「軍神」と呼ばれた上杉謙信とどう戦おうと考えていたところ、配下である「山本勘助」から「啄木鳥戦法」を進言され、それを採用します。

 

啄木鳥戦法とは、武田軍を二つに分け、別働隊を上杉謙信が陣取る「妻女山」に対して奇襲をかけます。上杉軍が驚いて妻女山から「八幡原」に逃げたところを武田本軍と挟み撃ちする戦法です。

 

しかし、上杉謙信は武田本陣の兵糧を炊く煙の多さから啄木鳥戦法を見破ったといいます。上杉軍は武田軍の別働隊による奇襲を食らう前に全軍で妻女山をおり、手薄となっている武田本陣に奇襲をかけます。この時、上杉軍は猛将「柿崎景家」を先鋒に車輪を回転させるように敵陣へ突撃する「車懸りの陣」を使用したといわれています。

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それに対して武田本陣は「鶴翼の陣」という鶴が翼を広げて相手を包み込むような陣で迎え撃ちます。しかし、別働隊が出てしまっており手薄になっていたのと、上杉軍の車懸の陣という次々と新手が襲ってくるような突撃で次々と武将が戦死いきます。その中には武田信玄の弟である「武田信繫」や啄木鳥戦法の考案者である「山本勘助」もいました。

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その頃、武田別働隊は上杉軍に出し抜かれたことに気付き、急ぎ八幡原へ急行します。別働隊を率いるのは武田四天王である「高坂昌信」「馬場信房」です。本来の形ではありませんでしたが、上杉軍を武田本陣と挟み撃ちにすることに成功します。そこで武田軍が優勢になった頃、両軍は退却します。

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結果として、両軍の死者はそれぞれ3千~4千といわれており、前半は上杉軍・後半は武田軍の勝利とも言われています。が、失った首級の大きさは武田軍だったでしょう。

 

すいません、もっと簡単に短く書こうと思ったんですが、川中島の戦いは人一倍思い入れがあるので長くなってしまいました・・・・もっと長く書こうと思えばどこまでも精緻にかけますし、車懸や啄木鳥はなかったとか言う話もありますが、ここではひとまず今までの定説で話します。

 

ありゃ、六文銭は?


松代PAではもう一つ面白いものが見れます。それが「六文銭」です。

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「松代」のうえに六文銭が

 

六文銭といえば、もちろん「真田」の家紋ですよね?NHK大河ドラマで「真田丸」は一躍脚光を浴びましたね。「六文銭の意味」や「真田に関して」も記事もたくさんかいてるので、関連記事をご覧ください。

 

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真田丸の主人公である「真田幸村」は1567年生まれです。それに対して、川中島の合戦(第四次)は1561年の出来事です。つまり、川中島の戦いの時に幸村は生まれていないんです。川中島の戦いでは、幸村のおじいさんである「真田幸隆」が参戦していましたが、それは「松代」の文字のうえに六文銭をつける理由にはなりません。

 

ではなぜ、松代の字のうえに六文銭があるのか?それを解くヒントは2番目のgoogle mapにうつっています。そう、「真田邸」です。江戸時代に入り徳川幕府の時代になると、日本全国で藩制がひかれます。ここ松代も「松代藩」がおかれることとなるのですが、1622年に松代城に入城したのが真田幸村の兄である「真田信之」だったんです。以後、明治維新までこの松代は真田家によって治められることとなります。なので、「松代=真田=六文銭」なんです。

 

ちなみになぜ2番目のgoogle mapにうつっている「妻女山」に私が一番興奮したのか、それは「上杉謙信が陣取った山と知っていた」からです。名前は知っていましたが、実際の地理関係を見たのがこれがはじめてだったんです。この「妻女山」という字を見たとき、全てを理解しました。

 

ぜひ、武田・上杉ファンのみならず歴史ファンの方は松代PAで休憩がてら、悠久の歴史を感じてみてください。

 




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