安土桃山時代っていつから?何者?安土桃山時代をとても簡単に解説
日本の歴史の中でも最も有名で想像しやすいのが「江戸時代」ではないでしょうか?1603年に徳川家康が江戸で開幕し、1868年の大政奉還で終わりを迎えた日本史の中でも類を見ない平和な時代としても有名ですね。
一方で、日本史の時代表現の中でもっともイメージしずらく、あまり耳なじみの無い時代の一つに「安土桃山時代」というものがあります。ここで自分に問いかけてみてください。この安土桃山時代、だいたいいつからいつくらいまでで、どんな時代だったか説明できますか??この時代が好きな人は説明できるかもしれませんが、多くの人は漠然としたイメージのみ持っている、もしくはほとんど知らない人が多いんじゃないでしょうか?
ということで、本日はその何者が分かりづらい安土桃山時代について説明します。
まずは、安土桃山時代を一言で表現してみる
私の解釈で一番簡単な表現をしてみます。ずばり、こんな感じです。
安土桃山時代とは、「織田信長と豊臣秀吉」の時代である
まさに、この表現に尽きると思います。なぜ、こういう表現になるか順を追って説明してみたいと思います。
安土とは、織田信長である
まず、「安土桃山」と言う言葉には二つの言葉が組み合わさっています。それが、「安土」と「桃山」です。この二つの言葉は全く違う意味なんです。ずばり、「安土」とは織田信長を表現しています。そもそも「安土」ってなんのことかご存知でしょうか??安土はそもそも「安土山」という山の名前なんです。琵琶後の東岸に位置していますが、今でいうと滋賀県の近江八幡市安土町がそうですね。
織田信長は尾張(今で言う愛知県)の小国大名から美濃(今で言う岐阜県)の斉藤氏を下し、天下布武を唱えます。その後、近隣の大名を次々と下していった信長は、天下布武に相応しい壮大な威厳のある城を築きはじめます。それが安土山に築き始めた「安土城」です。安土城は信長の象徴であったわけです。この安土城こそ安土桃山時代の「安土」というわけなんです。
でもここで、あれっ?と思いませんか??この時代は室町時代のはずでは??と思った人は、なかなかいい線をいっています。実は、室町時代に幕を下ろしたのも織田信長なんです。というのも、織田信長は1573年に室町幕府15代将軍である足利義昭を京都から追放します。これをもって室町幕府は終了。信長の安土時代に突入するわけです。
なので、安土桃山時代のはじまりは1573年~ということになります。
桃山とは、豊臣秀吉である
しかし、その織田信長も家臣である「明智光秀」の裏切りにあいこの世を去ってしまいます。世に言う「本能寺の変」ですね。1582年のことでした。そして、この明智光秀を倒したのがこれまた信長の家臣である「豊臣秀吉(この時は羽柴秀吉といいました)」でした。ここから秀吉は怒涛の勢いで信長の後を継ぎ、天下統一を果たすわけです。
そして、「桃山」についてですが、これは秀吉が終の棲家とした「伏見城」が元となっています。ちょいと変則的な表現となりますが、伏見城が江戸時代に入り廃城となった時、桃の木が植えられたことから「桃山」と表現されるに至っています。蛇足ですが、この頃に栄えた文化を「桃山文化」なんて表現したりもします。
そして周知のとおり、豊臣秀吉が亡くなった後に天下をにぎったのがあの「徳川家康」ですね。家康は1603年に江戸幕府を開きます。なので、桃山時代は~1603年迄となります。
安土桃山時代のまとめ
以上のことをまとめると、こんな感じです。
- 安土桃山時代は「安土=織田信長、桃山=豊臣秀吉」の時代
- 始まりは信長が室町幕府を廃した1573年~
- 終わりは徳川家康が江戸幕府を開いた~1603年迄
いかがでしたでしょうか??いってみれば、幕府が存在しない空位期間をその時代の(ほぼ)天下人の時代と位置づけた時代表現と言うことができますね。