石和温泉のホテルふじで武田二十四将の鬼美濃こと「原虎胤」と偶然出会った話

私が大好きな山梨。これでもか!というくらいよく訪れるのですが、その中でもよく泊まりにいく場所に「石和温泉」があります。昭和36年に突如噴出し、そのとてつもない湯量でも有名な新しい温泉郷なのですが、石和温泉に行く際は「ホテルふじ」によく泊まらせてもらっています。県内最大級の岩風呂と、うまいと評判のバイキングは、何度行っても癖になります。

そのホテルふじに泊まった時、思いもよらぬ「歴史」に出会ってしまいました。それがなんと・・・・「原虎胤」の鎧です!!!武田ファンの私としては、どんなに興奮したことか・・・・宿の人に聞いたら、なんと本物だと!!!一時的に貸し出しをしてもらっているとか。前回ホテルふじに泊まった時は無かったので、確実に今回偶然に出会ってしまったのでしょう。それが、こちらですっ!どんっ!!!

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おもむろに、原虎胤の鎧が!

いやー立派な鎧です。原虎胤の家紋もしっかりと兜についています。こちらからもパシャリ。

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洋風感の中、原虎胤の鎧がシュール!

しっかりと、「武田二十四将」とも書いてありますよね。いやぁ、感動・・・・なんですが、私以外にまわりで感動している人は誰一人おりませんでした。その状況がとても不思議でした!山梨県の人であれば、武田二十四将は知っているはずなのですが、いや、知っていてほしいのですが・・・・

 

せっかくなので、この原虎胤がどんな人物が、説明します!ので、この鎧を見た方は、感動してください!笑




武田二十四将の一人!


まず、原虎胤は「武田二十四将」といわれていることからも分かるとおり、武田氏の家臣です。「武田信玄」と、その父である「武田信虎」に仕えていました。「武田二十四将」とは、武田軍団の中でも特に評価の高い24人の武将のことを言います。原虎胤はこの二十四将に数えられていることからも、武田軍団の中でも、重臣だったことが分かりますよね。

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他の武田二十四将は例えば、大河ドラマ「真田丸」でも有名な「真田幸村」の祖父「真田幸隆」や、当サイトでもご紹介した岩殿山城主の「小山田信茂」なんかがいます。いずれも、武田家の重臣です。




傷を受けまくる猛将、原虎胤!


もともと原虎胤は今の千葉県の「小弓城」にいたとされていますが、戦で負け甲斐へ逃げてきたといわれています。そして、武田信玄の父である信虎に仕え、その「虎」の字をもらったと言われています。この時代はよくあったんですよ、主君の字をもらうということが。

 

その後、信虎の跡を継いだ信玄に仕えた原虎胤は、足軽大将として幾度の戦に出陣します。そしてその生涯で、武田信虎・信玄父子から感状を受けること38度、そして全身に受けた戦傷は53箇所であったと言われています。それだけ、武勇の誉れ高い「猛将」とも言えるでしょう。少なくとも、後方で指揮をとる「将軍タイプ」というよりは、常に前線で戦い続ける「一番槍」タイプだったと言えます。

 

その猛将ぶりから、「鬼美濃」または「夜叉美濃」と呼ばれ、畏怖されていました。「美濃」とういうのは原虎胤が自身を「美濃守」を自称していたことに由来します。

 

そして、武田信玄より世代少し前である原虎胤は、武田信玄の有名な戦いである「川中島の戦い(第四次)」には参加せず、その3年後病死します。享年68歳でした。この時代に68歳で、しかも戦では死ななかったことから、やはり原虎胤は改めて強靭かつ偉丈夫だったことが伺いしることができます。

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ホテルふじの館内

こういう偶然の出会いがあるから、歴史は面白いんです。また、ぜひ石和温泉へ訪れる際は、ホテル富士に泊まってみてください。とても良い宿ですよ。おすすめです。




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