薩摩隼人の「隼人」とはどのような民族で、なぜ反乱を起こしたのか?あの法律に関係が・・・

「薩摩隼人(さつまはやと)」という言葉をご存知でしょうか?いわゆる「秋田美人」や「九州男児」のようにとある地域の人々の呼称なんですが、現在では「薩摩の男性」というような意味合いで使われます。言わずもがな、「薩摩」とは「鹿児島」のことですね。また、「薩摩の武士」のことを「薩摩隼人」といったりします。

 

今回注目したいのはこの「薩摩隼人」の「隼人」という意味なんです。実はこの「隼人」、古くから存在したとある民族のことを指すんです。では、この「隼人」とはどのような民族だったのでしょうか?この薩摩という特殊な地理性から紐解いていきたいと思います。




隼人の反乱


「隼人」とは、古来から現在の鹿児島付近に住む民族で、日本神話においてはあの「海幸彦」が隼人の先祖であるとも書かれています。同じく九州の民族であるクマソタケルで有名な「熊襲(クマソ)」と同じ民族であるとも言われていますが、ここでは「熊襲」と「隼人」は別に考えます。

 

この「隼人」ですが、その頃の中央政権である「大和政権」と文化風習が異っていたため、たびたび衝突をしていました。その中でも一番有名なものが720年に発生した「隼人の反乱」です。この戦いでは、隼人側は7つの城(いわゆる、「隼人七城」)に立て篭もって戦ったといわれています。最終的にはこの反乱は「大伴旅人」を大将軍とした大和政権軍によって鎮圧されますが、この鎮圧には約1年もかかっています。

 

この反乱もあってか、「薩摩隼人」という言葉は「気骨に溢れ、勇ましい男性」のイメージが定着しています。ではなぜ、隼人は大和政権に対して反乱を起こしたのでしょうか??




薩摩独特の地域性


核心にせまる前に、まずは薩摩の特殊性を整理しましょう。薩摩というのは、沖縄や奄美諸島を除いて日本の最南端となります。いわゆる「端」です。「端」というのは交通の面からの交流軸が閉鎖的であるため、他の地域と比べてかなり閉鎖的になります。と、いうことは独特の文化や風習が発達しやすいんです。現に「薩摩弁」というのはかなり独特の方言ですよね。そのため、時の中央である大和政権とは風習や文化という面でも相容れなかったと考えることができます。

 

また、薩摩というのは土壌も特殊です。というのも、鹿児島といえばなんといっても「桜島」ですよね。桜島というのは今でも活火山であるため、たびたび火山灰が市内だけでなく、風向きにもよりますが鹿児島中に降り注ぎます。そのため、鹿児島の土壌はいわゆる「シラス台地」で形成されています。学校でも学びましたよね、シラス台地!シラス台地は浸透性が高いことから、水が地中に素早くしみこんでいきます。と、いうことはですよ?薩摩の地では「稲作は不向き」ということなんです。これが、非常に大事な要素となります。

 

反乱の理由とは?


そして、時の大和政権は大陸からざまざまな先進的な知識や技術を取り入れて、日本でもそれらを始めようとしていました。いわゆる「律令」ですね。その一つが「税」です。律令体制下における税の主軸となるのが「米」です。今とは異なり、昔は米で税をおさめてました。「班田収授法」、これも学校で学びましたよね。

 

そして、先述したとおり・・・・薩摩の地というのはその多くをシラス台地で形成されているため、稲作には不向きな地なんです。ちなみに、シラス台地にむいている作物はイモ類ですね。そのため、中央政権と文化・風習も異なる隼人達は「そんなんに従ってられるか!!」といって、反乱をおこしたと考えることができます。

 

結果として、反乱は鎮圧されてしまいましたが、この中央政府にただでは従わない男気や勇猛さというDNAが、現在の「薩摩隼人」という言葉には宿っているんです。あまり関東などでは普段の生活で聞きなれない言葉かもしれませんが、歴史ドラマや小説、または某県民ショーなんかでもよく出てくる言葉なので、ぜひこの隼人の物語を知っておいてください。

 




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