愛媛ではタルトは和菓子?その理由を歴史の観点から解説!

愛媛県の松山に行ってまいりました!松山は四国最大の都市であり、「坊ちゃん」の舞台である「道後温泉」や現存12天守である「松山城」など、なにかと歴史と文化が色濃い町です。「正岡子規」も松山生まれですね。

 

さて、そんな松山ですが、ここ愛媛では「タルト」と言ったらとある「和菓子」を指すんです、それがこちら!どんっ!!

taruto2

一六タルト

taruto1

「の」の字が特徴

普通、タルトといったら「ビスケット状のパイ生地のお菓子」のことを意味しますよね?しかし、ここ愛媛ではタルトといったら和菓子なんです!特に松山にタルトメーカーが多いのですが、写真の「一六タルト」は老舗中の老舗で、愛媛では知らない人はいないくらいの知名度です。

 

では、なぜ愛媛では「タルト=和菓子」なんでしょうか?これには面白い歴史が絡んでいるので、歴史の観点から解説します。




松山初代藩主、松平定行に遡る


時代は「松平定行」の時代に遡ります。松平定行は松山藩主(1635年~)で江戸時代前期の人です。「松平」という苗字からも分かるように、徳川家康は彼の伯父にあたります。彼は松山藩主と同時に「長崎探題」という役職を与えられていました。

 

当時の長崎は「出島」で分かるとおり、鎖国体制中における貴重な外国との窓口施設でした。松平定行はその探題なので、いわゆる「対外交渉や窓口の長官」というイメージでOKです。

 

彼が長崎探題なので自然と外国の物に触れることとなります。その中の一つがポルトガルのお菓子である「トルタ」でした。「トルタ」というのは「カステラの中にジャムやカスタードクリームが包んであるお菓子」です。松平定行とトルタが出会った瞬間でした。

 

和菓子としてのタルトの誕生


松平定行はこのトルタを食べて衝撃を受けたのでしょう。ぜひ、自分の領地である松山でも作ろうと。しかし、当時の日本は「カスタードクリーム」「ジャム」といったものは作られていませんでした。

 

そのため、それらの代わりに「餡(あん)」を使用し、さらに松山特産である「柚子」等の柑橘系をアクセントとして入れたのだと考えられています。「松山トルタ」の誕生です。

 

その「トルタ」という言葉がいつしか「タルト」に変化し、今日の今日にまで至っています。なので、愛媛では「タルト」といったら松平定行由来の「松山トルタ」のことを指すんです。

 

様々なメーカーがありますが、この「一六タルト」はめちゃくちゃうまいです!超絶有名店なので、松山では必ず目にすると思います。

 

ぜひ、ご賞味あれ!四国に行く予定がない方はオンラインでも買えますので試してみてください!




にほんブログ村 歴史ブログへ

You may also like...