案外知らない?さざえ堂の意味と会津以外にも現存する秘密を解説

会津シリーズの最終回です。最後を飾るのは白虎隊悲劇の地、「飯盛山」の麓にある「さざえ堂」。会津観光では欠かせないさざえ堂ですが、案外この「さざえ堂の意味」「他にもさざえ堂が多数存在する」ということを知らない人が多いんじゃないでしょうか??

 

というわけで、このさざえ堂の秘密を簡単に解説します!会津観光には必須の知識ですので、ぜひこれから会津観光の人も、すでに観光を終えた人も知っておいて損はないですよ。




さざえ堂の意味


会津のさざえ堂と言えば、なんといってもまずその「奇抜な外観」ですよね!この形が「さざえ」に似ていることから「さざえ堂」と呼ばれていますが、正式には「旧正宗寺三匝堂」と言います。1796年の江戸時代後期の建立です。

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さざえ堂

会津さざえ堂の建築方法は世界でもとても珍しく、「二重螺旋構造」となっています。このようなお堂の通常建築構造では、「入口と出口が同一」であり「道中で往路一体となっている」のが一般的ですが、上述のように二重階段構造となっているため、「入口と出口が別」であり「道中で人が行き混じらない構造」になっています。

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二重螺旋階段

そして、この「さざえ堂」の意味ですが、ポイントは「江戸時代」です。江戸時代には一大旅行ブームが巻き起こりました。江戸時代の旅行といえば、いまのように海外旅行に行けるわけでもなく、また花見などでもありません。何を一番重要視していたかというと「巡礼」です。つまり、「お参り」です。「お遍路さん」「お伊勢参り」「 西国三十三カ所 」など、聞いたことあるのではないでしょうか??

 

ですが、当時は「車」もなければ「新幹線」もありませんよね?移動手段はもちろん「徒歩」です。今でこそバスや車、飛行機で1日何個も寺社仏閣を回ることが可能ですが、当時は目的地につくだけでやっとです。とても「あちこち回る」ことはできませんよね。

 

そこで考え出されたのが「そこを歩くだけで巡礼した効果が得られる」というまさにチートのようなスキームでした。どういうことかというと、現在は廃仏毀釈等の影響で設置されていませんが、江戸時代にはこのさざえ堂の内部には「三十三観音」が配置されていたといいます。

 

つまり、このさざえ堂の中を歩くだけで「西国三十三カ所を巡礼した効果が得られるというわけです。東北の人にとっては西国はかなり遠いので、確かに効率的には理がかなってますよね笑

 

実は他にもあるさざえ堂


さざえ堂の意味は「巡礼した効果が得られる」と説明しましたが、同じ理由により実は江戸時代後期には各地に「さざえ堂」が建てられているんです。現存するさざえ堂は会津さざえ堂を含め8つあります。

<現存するさざえ堂>

  • 旧正宗寺三匝堂(会津)
  • 蘭庭院栄螺堂(青森)
  • 曹源寺本堂(群馬)
  • 長禅寺三世堂(茨城)
  • 成身院百体観音堂(埼玉)
  • 總持寺三匝堂(東京)
  • 大正大学すがも鴨台観音堂(東京)
  • 夢かなうぶんぶん堂(大分)

主に東北地方から関東地方にかけて多く作られていますが、いずれも西国から遠かったからでしょう。しかも、東京にもあるとは驚きですよね。

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説明板

この中でなぜ会津のさざえ堂が有名なのかというと、先述した「二重螺旋構造」になっているからです。ヨーロッパでは「レオナルド・ダ・ヴィンチ」が設計したといわれる二重螺旋階段で有名な「シャンボール城」がありますが、この江戸時代になぜ、しかも木造建築で二重螺旋階段が作られたのか、皆目謎に包まれています。まさに、歴史のミステリーといって良いでしょう。

 

また、その会津さざえ堂は白虎隊自刃の地のすぐ横にあるという、観光コースとしてもしっかり整備されています。私が訪れた時は多くの修学旅行生が飯盛山~さざえ堂コースを歩いていましたよ。

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飯盛山からさざえ堂を臨む

世界でも珍しい「二重螺旋階段」を持ち、かつ「巡礼の意味」をもった会津さざえ堂、会津若松観光の際はぜひこの意味を理解して訪れると、感慨が倍増しますよ。




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