薩摩隼人の語源にもなった「隼人」。隼人の乱を隼人駅にて想う

「薩摩隼人(さつまはやと)」という言葉を知っていますか??戦国時代の島津4兄弟しかり、薩摩の武士というのは歴史的にみても非常に強く勇敢であったため、彼ら薩摩の武士を「薩摩隼人」と呼ぶんですが、実は一番大事なのはこの「隼人」なんです。

 

あまり「隼人」に着目する記事や話を聞かないので、このサイトを見ていただいている方にはぜひこの「隼人」を知ってもらいたく・・・・・

 

行ってきちゃいました、「隼人駅」!!!笑

hayato2

隼人駅

いや~いいですね!!なんといっても、島津氏の家紋である「丸に十文字」があるのが大感動ポイントですよね。また、竹素材を張り巡らされた駅舎と手書きの隼人駅看板。まさに「隼人」って感じです!!!

ちなみに隼人駅はJR九州の「日豊本線」「肥薩線」の2路線が乗り入れてる接続駅となります。場所はこのあたりですね。

<隼人駅の場所>

では、さっそく「隼人」とは何者なのか、簡単に説明します!




隼人とは?


「隼人」とは古代日本において、現在の鹿児島(薩摩・大隅)に住んでいた人々のことを指します。彼らは独特な文化や習慣、言語を持ち、当時の大和政権とは一線を置いていました。

 

分かりやすいのが「隼人の盾」です。

hayato1

隼人の盾

隼人駅には「隼人の盾」のレプリカが設置されていますが、実際に隼人の盾がこの周辺で発掘されており、独特な文様が描かれています。この「逆S字」が隼人の特徴なんです。色使いやこの文様は異国情緒が彷徨っていますよね。

 

そんな隼人ですが、歴史上彼らが一目置かれるようになったのが「隼人の乱」です。

 

隼人の乱とは?


「隼人の乱」とは文字通り、隼人が大和政権と小競り合いを起こした事件のことを指します。西暦でいうと720年~721年のことです。時代でいうと「奈良時代」ですね。かなり古い時代のことです。

 

そもそも反乱のきっかけとなったのが、当時の朝廷が推し進めていた「律令制」です。つまり、中国式の国家統治体系であり、簡単にいうと「税制」「国郡制(代官を設置するようなものと思ってください)」といった強力な中央集権体制でした。また、その「税制」の基本となったのが「お米」です。

 

大和政権は隼人に対しても「税制」「国郡制」を迫りますが、彼らは当然に「拒否」します。そこには大きく二つの理由がありました。

 

一つは「彼らの住む土地がシラス台地」であったことです。「シラス台地」、小学校や中学校で習いましたね。鹿児島は桜島や霧島をはじめ、広域にわたってカルデラ形成されており、また土壌も火山灰等で構成されています。そのため、「稲作」には不向きな土地なんです。なので、「さつま(薩摩)いも」「大根」等の根野菜が育ちます。言い換えると、根野菜しか適していないような土壌でした。

 

二つ目は、「彼らが独特な文化や習慣、言語を持っていた」ということです。つまり、「国郡制」を受け入れるということは彼らにとって「異なる世界・国の人間を自分たちのテリトリーに入れる」ということになります。

 

この二つの要素が相まって、彼ら隼人は反乱を起こします。これが世にいう「隼人の乱」です。隼人は「隼人七城」等に立てこもって戦いますが、最終的には敗れてしまいます。その後はこの地域に中央から移民や代官等をが派遣され、大和政権統治下に組み入れられることとなります。

 

 

あまり歴史の表舞台には立たない隼人ですが、私は彼らをこの隼人駅で偲ぶことができたことに感無量でした。近くには、「隼人塚」も設置されています。このような形で「隼人」を表舞台に改めて出すことが、歴史家としての責務だと、強く隼人駅にて想いました。




にほんブログ村 歴史ブログへ

You may also like...