南九州に伝わる「おおすみ弥五郎(弥五郎どん)」とは?現実目線で解説

南九州、特に鹿児島と宮崎の境あたりを旅した時のことです。なんとも面白いものを見つけてしまいました。それが、これ!!!

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謎の面

「!!????」ですよね?このよな街頭のいたるところにこのような面がついており、さらには・・・

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!!!!

で、でかい!!!笑 いったいぜんたい、これはなんなんでしょうか??ここで私は、「はは~ん、そういうことか!聞いてはいたけれども、ここがそうか・・・・」と歴史海馬が反応しました。この大男は何者なのか??簡単に説明します。




おおすみ弥五郎(弥五郎どん)


先ほどの面と巨大な銅像の人物は、「おおすみ弥五郎」と言います(通称:弥五郎どん)。またの名を「大人弥五郎(おおひとやごろう)」「弥五郎様(やごろうさま)」と言ったりもしますが、九州の鹿児島と宮崎に伝わる「伝説の巨人」のことを指します。鹿児島と宮崎の一部では、「弥五郎どん祭り」といって、毎年11月に巨大な弥五郎像が作られ、町内中を歩き回るお祭りが開催されています。

 

この弥五郎どんですが、伝承では「川が決壊した時に、大岩を軽々と持ち上げて氾濫を治めてくれた」「村人を驚かせた」等、主に村人を助けたり驚かしたりという話が多数残っています。どちらかというと「恐怖」というよりは「驚き」「超人」、また「滑稽」のような感情の話が多いような気もします。

 

歴史的解釈


では、この弥五郎どんを「歴史的解釈」してみましょう。果たして、この弥五郎どんが本当に巨人だったか?というと、答えは「NO」です。「巨人」を出してきてしまうと、歴史的解釈がそこで破綻してしまいますからね。実は、日本全国にこのよな「巨人」「偉人」伝説というのは数多く残っており、その最たる例が「両面宿儺(りょうめんすくな)」です。

<参考記事>

 

簡単に説明しますと、「両面宿儺」とは「日本書記」にも登場する飛騨地方に伝わる「怪人」です。「顔が二つあり、手が四つある」等の記載がされていますが、実は地元の人の伝説とは異なります。どちらかというと、地元の伝説や伝承では「英雄」として扱われているんです。

 

これはどういうことかというと、「日本書記」は当時の「大和政権側」の歴史書なので、「中央寄り」の歴史的解釈をしています。一方、地元の人々はその地元の人の目線での伝説や伝承を残すため、真逆の記述がなされることがあります。

 

つまり、「大和政権側(日本書記側)」から見ると、「両面宿儺」とは「中央に逆らった人」のことを指し、「飛騨地方の人」からみると、「中央から地元を守るために働いた英雄的リーダー」のことを指すのでしょう。

 

隼人の反乱


この「両面宿儺」の例と「おおすみ弥五郎(弥五郎どん)」の例、とっても似ていると思いませんか?もしそうであるならば、「おおすみ弥五郎(弥五郎どん)」はおそらく「隼人の乱」のリーダーです。

 

「隼人」とは古代南九州に居住していた人々のことで、幾度にわたり大和政権に対抗したと言われています。

<参考記事>

 

彼ら「隼人」は720年に「隼人の反乱」と呼ばれる事件を起こし、大和政権が攻めてきます。この時の「隼人」のリーダーこそ「おおすみ弥五郎(弥五郎どん)」だったのではないか?と私は考えています。この時大和政権側は律令制普及のため「税制」「国郡制」を推し進めていましたが、彼ら隼人は独自の文化や言語、習慣をもっていたため、いわば「外からとやかくいわれる筋合いはない!!」と思っていたのでしょう。

 

文化として定着


このようにして弥五郎どんは現在にまで語り継がれる人物として、地元では英雄視されています。本当に、町の至るところでみることができるんですよ。

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道の駅

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お茶

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弥五郎面

話には聞いたことがありましたが、いやはや、実際にその空気を感じるとやはり感動するものがありますね。何しろ、現代の人々が昔の出来事や伝承をこのように「形」にして大切にしているというのは、とても重要なことで今後も大事にしていかねばなりません。




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