「日本の建国」っていつ?祝日「建国記念の日」を簡単に解説!

日本のみならず、世界の各国には「建国記念日」「独立記念日」が存在しており、祝日に指定されています。我らが日本においても「建国記念の日」という名前で毎年「2月11日」が祝日に指定されています。

 

ではここで質問です。「日本の建国はいつ」で、はたまた「誰がどうやって?」ってご存じでしょうか?また、この祝日なんですが、細かいことを言うと「建国記念日」ではなく「建国記念の日」なんです。なぜなのか?そこにはちゃーんと意味があり、背景があります。今回はその「建国記念の日」の謎を簡単に解説します。




 

全ては「神武天皇」から始まる


まずは簡単に天皇史からおさらいです。令和の今上天皇は第126代の天皇となります。もちろん、ご存じですよね。また、歴史上で有名な天皇といえば「建武の新政」で有名な第96代天皇である「後醍醐天皇」や、聖徳太子を摂政に任命したといわれる女性天皇である第33第天皇「推古天皇」が有名かと思います。

 

では、日本の「初代天皇」ってご存じでしょうか??まさしくこれが今回のキーワードとなります。ご存じの方も多いと思いますが、日本書紀や古事記、また日本神話における日本の初代天皇は「神武天皇」とされています。(ここでは、あくまでも日本書紀や古事記、日本神話に基づいた話をします)神武天皇は日本神話に登場する「天照大神」の来孫(5世代子孫)であり、「瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)」の曾孫といわれており、数々の伝説が残る人物です。まさに、この神武天皇こそが、「建国記念の日」と深いかかわりがある人物」なんです。

 

では、神武天皇と建国記念の日はどのようなつながりがあるのでしょうか?深堀していきます。




神武天皇の東征


なんといっても神武天皇で一番有名なエピソードは「東征」です。神武天皇は九州の「高千穂」から大分の「宇佐」「安芸」「吉備」と瀬戸内海を通り、半年後に現在の大阪湾にたどり着きます。そこで地元の豪族(長髄彦(ながすねびこ))と戦いますが敗れてしまいます。一度退却し、今度は「熊野」に上陸しますが、そこへ「八咫烏(やたがらす)」が登場し、神武天皇軍の道案内をします。ちなみに、この「八咫烏」は三本足のカラスで、日本サッカー協会のシンボルマークにもなっていることで有名ですね。

 

八咫烏に導かれた神武天皇軍はふたたび豪族達(八十梟帥(やそたける)や兄磯城(えしき))と戦い、ついに勝利します。そして大和平定後、現在の奈良県橿原に宮殿を造営し、その橿原宮でついに即位します。ここに初代天皇である神武天皇が誕生したわけです。

 

「建国記念日」ではなく、「建国記念の日」である理由


核心にせまってきます。この神武天皇が橿原宮で即位した日が「紀元前660年1月1日(旧歴)」であり、それを現在の暦であるグレゴリオ暦に変換すると「2月11日」となります。そのため、日本ではこの「神武天皇が即位した日」「建国記念の日」として祝日制定しているというわけです。

 

しかしこの「古事記」「日本書紀」はかなり曖昧な部分や分かっていないことがあることから、「建国された事実をお祝いする」という考えを基に、「建国記念日」ではなく「建国記念の日」としています。言葉の綾のような気がしますが、日本らしいといえば日本らしい表現ですよね。

 

ということで、せっかくの祝日なのでその祝日の意味や背景をしっておくと、毎年建国記念の日に「そういえば日本の建国って・・・」と思いふけることもできますし、なによりもせっかく日本に生まれたからには、祝日の意味を知っておいて損はありませんよ。




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