和同開珎?富本銭?日本最古の貨幣についてせまる

以前の記事で、日本最古の日本紙幣について書きました。日本最古の紙幣は江戸時代が終了し、明治時代に入ってからつくられたものですが、それ以前にももちろん紙幣ではない形で通貨貨幣が存在していました。大判小判なんかもそうですね。

本日は、その日本貨幣のうち、一番古い貨幣についてせまりたいと思います。

<以前のお金に関する記事>

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有名な和同開珎は?


小学校や中学校の教科書で習った有名な古い通貨といえば、なんといっても「和同開珎(ワドウカイチン・ワドウカイホウ)」ですよね。ではこの和同開珎、どれくらい前の通貨なんでしょうか??

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実はこの和同開珎、かなり古いものです。驚くなかれ、西暦708年に作られ始めたものなんです。時代でいうと、飛鳥時代ですね。この事実は「続日本紀」という書物に詳細な記述がなされており、708年の7月には銅銭の鋳造が始まり、8月に発行されたと記されています。

「和銅」という言われについては、現在の埼玉県秩父市黒谷にある和銅遺跡から、和銅を産出した事を記念して、年号を「和銅」に改元するとともに、和同開珎と称したともいわれています。

なんでこの時代にいきなり和同開珎が造られたかなんですが、この和同開珎はそもそも中国から律令制(様々な仕組みや制度体系)を輸入するにあたり、日本に輸入された貨幣制度の考えの一つで、中国で流通していた「開元通宝」という通貨がモチーフとなっています。そのため、開元通宝に形がそっくりで、文字だけが違うバージョンと考えてもらっても良いくらいです。

このころの日本は中国に学べや学べ、の時代だったんです

 

では和同開珎より前の貨幣は?


では、和同開珎より前の貨幣って存在するんでしょうか??歴史の教科書では長らく和同開珎が一番古い貨幣だと紹介されてきましたが、実はそれより古い貨幣ではないか?と言われるものが出土してきました。それがこの子達です。

  • 富本銭(683年に作られたと推定)
  • 無文銀銭(667年~672年に作られたと推定)

富本銭も無文銀銭も、和同開珎ほどの量ではありませんが、近畿圏内で多く出土しています。中でも富本銭は大英博物館にも展示がしてあるくらいです。

無文銀銭は名前の通り、固有な文字が記されているわけではなく、「高志」「伴」「大」と刻まれたものが出土されています。

 

まとめ:日本最古の貨幣は?


この論争、ずっと続けれてるんですが、見る観点によって考え方がかなり変わります。そもそも富本銭と無文銀銭にいたっては、作られた年も確定年ではありませんからね。ですが、私の解釈は以下の通りです。

<和同開珎>

日本最古の「流通貨幣」。これは、律令制が大きくかかわっています。国家の体系的な制度として正式に「通貨」が用いられるようになり、それを物流などの基礎に据える目的があったのでしょう。そのため、発行量も多く、広く出土しているのもこのためと言えます。なので、位置づけとしては制度としての「流通貨幣」と言えるでしょう。

 

<無文銀銭>

日本最古の貨幣。和同開珎との違いは、制度としての通貨ではなく、物々交換を行う手段の一つにすぎなかったという点だと思います。もちろん、和同開珎も物々交換の手段の一つではありますが、無文銀泉が統一通貨かと言われたら、答えは否です。体系的にも制度的にも弱いものがあるでしょう。

 

富本銭については、年代・流通量・和同開珎からの比較からしても、どれも中途半端な気がします。というより、何かを結論づけるための物的証拠が少なくぎるんです。存在時代は間違いなくあるんですが、確証するには非常に難しい位置にいるため、和同開珎と無文銀銭の間の通貨としか、いいようがありません。

と、いうわけで「最古」というのは、何を観点に置くかで答えが変わってきてしまうものだと思います。一番古い通貨は「無文銀銭」、一番古い正式な流通貨幣は「和同開珎」だと思います。




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