県名と県庁所在地が同一な県とそうでない県がある理由とは?

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本日は県名と県庁所在地にまつわる面白い説をご紹介します。

 

我々の住んでいる日本は、都道府県制をしいていますよね。そして、当たり前ですが都道府県毎に県であれば県庁所在地というのが存在するわけであります。たとえば!「山口県」の県庁所在地は「山口」ですよね。そして、「宮城県」の県庁所在地は「仙台」です。

 

ここで、「あれっ?」と思った方、なかなかするどいです。そう、県名と県庁所在地にはとある法則が存在するんです。




 

県名と県庁所在地が同じパターンと異なるパターン


まず、「県名と県庁所在地が同じパターン」が存在します。まさに先ほど挙げた山口県と山口の関係と同じですね。鹿児島県に対する鹿児島もそうですね。そしてもう一つは「県名と県庁所在地が異なる」パターンです。

 

<県名と県庁所在地が異なるパターン>

北海道(札幌)、岩手(盛岡)、宮城(仙台)、群馬(前橋)、栃木(宇都宮)、茨城(水戸)、神奈川(横浜)、山梨(甲府)、愛知(名古屋)、石川(金沢)、三重(津)、滋賀(大津)、兵庫(神戸)、島根(松江)、香川(高松)、愛媛(松山)、沖縄(那覇)

 

では、なぜ県名と県庁所在地が同一と異なるパターンが存在するのでしょうか?一つの面白い説をご紹介します。

 

明治維新にさかのぼる


時代は明治維新までさかのぼります。江戸時代の終焉というのは、日本の開国派と攘夷派が争い、最終的には開国派の勝利によって江戸時代は終わりを迎えました。そしてはじまったのが富国強兵の明治時代ですね。ここに明治維新が成ったわけです。

 

ここで注目したいのが「開国派」と「攘夷派」の二つです。この派閥は、主に国ごと(今で言うと都道府県ごと)に派閥が分かれていました。例を挙げてみます。

<代表的な開国派>

  • 薩摩藩(鹿児島県)
  • 長州藩(山口県)
  • 土佐藩(高知県)
  • 肥前藩(佐賀県)

あくまでも代表的なものを挙げてみました。「薩長(薩摩と長州)同盟」なんてもろ開国派のキーワードですよね。そしてその同盟を取り持ったのが、坂本龍馬の土佐藩ですよね。まさに開国派の雄です。

 

さて、ここであることに気づきませんか????

 

そう、実は開国派の藩は、現在の県名=県庁所在地なんです。上の例でみてみると、鹿児島県は鹿児島、山口県は山口、高知県は高知、佐賀県は佐賀に県庁所在地が存在しますよね?

 

どういうことかというと、今の日本の姿というのは開国派の国によって築かれた国です。つまり、国内は二分してできているといっても過言じゃないんです。そのため、開国派の国々が明治政府を樹立したとき、その優位性と見せしめのために、あえて県名=県庁所在地とそうでないものに分けたという説がまさにこの説です。

 

では、開国派に負けた攘夷派の国を見てみましょう。

<攘夷派の国(一例)>

  • 仙台藩(宮城県)
  • 水戸藩(茨城県)
  • 盛岡藩(岩手県)
  • 加賀藩(石川県)

これらの攘夷派の国における現在の県の姿を見ていきましょう。宮城県は仙台、茨城県は水戸、岩手県は盛岡、石川県は金沢に県庁が存在しますよね?つまり、県名=県庁所在地ではないんです。

 

意図的に解体せしめたとも思える所作ですよね。

 

しかし、考え方的には理にかなっている面白い考え方ですよね。今でこそ、日本の都道府県は何気なくあるものですが、そもそもの成り立ちは開国派と攘夷派です。そして、明治維新で誕生した明治政府というのは、開国派の人々によって運営されていました。少なくとも、この頃の国の方針や戦略というのは、開国派の人々による意思と戦略が練りこまれているのは間違いの無い事実です。

 

さて、あなたの住んでいる都道府県は開国派ですか?攘夷派ですか?そして、都道府県名と都道府県庁所在地は一致していますか??調べてみると面白いですよ。




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