サンフレッチェ広島の意味は?その名前の由来はあの毛利元就にあった!
日本にプロサッカーリーグが誕生して早い20年以上が経ちました。私はJリーグ開幕以来ずっとサッカー好きで、もちろん自分もサッカーをやっとりました。
そのJリーグのチームの中で、「サンフレッチェ広島」という広島のチームがあります。サッカーに詳しくない方も一度は聞いたことありませんか?実はJリーグのチームの名前は独特のものが多く、例えばコンサドーレ札幌の「コンサドーレ」は道産子からきていたり、その土地に由来するものが名づけられていることが多々あります。
そう考えたときに、サンフレッチェ広島の「サンフレッチェ」ってなんだ?って思いませんか?これ、実は歴史に関するある事柄からとってるので、ご紹介したいと思います。
広島の有名人といえばこの人
そう、なんといっても「毛利元就」ですよね。毛利家といえば長州藩(今でいう山口県)のイメージが強い方もいいと思いますが、もともと毛利家は安芸(今でいう広島県)の国人領主だったんです。
毛利元就を一文で表すと、参謀術数の人で、知略と人望により数多の戦に勝利し、安芸の一国人領主から、中国地方の覇者へと脱皮した、大出世人です。私の以前の記事でも、毛利元就の華麗な奇襲戦を書いていますので、ご参考までにどうぞ。
参考記事:村上水軍登場!最後の日本三大奇襲、厳島の戦いとは?
実はこの「サンフレッチェ」という言葉も、毛利元就にまつわるある逸話から由来してるんです。では、その逸話とはどんなものなんでしょうか?見ていきたいと思います。
あの有名な三本の矢
「三本の矢」って聞いたことありませんか?アベノミクスの成長戦略の柱としての3つの基本戦略も三本の矢と言っていますが、この三本の矢も毛利元就の逸話である「三本の矢」が元となっています。
<三本の矢の話>
毛利元就にはたくさん子供がいますが、中でも長男の「毛利隆元」、次男の「吉川元春」、そして三男の「小早川隆景」の三名は毛利家の支柱として活躍したことでも有名です。正直いって長男君は吉川元春、小早川隆景に比べたら見劣りしてしまいますが。中でも小早川隆景はやばーい優秀ですね。豊臣秀吉の五大老の一人が小早川隆景です。豊臣秀吉からは「日本の西は小早川隆景に任せれば全て安泰である」と評価された人物です。
ちなみに、吉川元春と小早川隆景の苗字が「毛利」ではない理由は、毛利元就が戦略的に毛利家に隣接していた「吉川家」と「小早川家」に嫁がせ、実質的に家を乗っ取るためです。「吉川」と「小早川」という二つに「川」が入っていることから「両川」とも言ったりします。あ、「吉川」は「よしかわ」ではなく「きっかわ」と読むのでご注意を。そういえば吉川晃司は吉川元春の子孫だといわれていますね。
脱線しました。毛内元就はある時息子3人を呼び、戦国時代という困難な時代を乗り切るために3人の力を結束せよということを、あることを見せながら示しました。それが「矢」です。元就は、まず矢を一本手に取り、折って見せます。そしてこういいます。「矢を一本折ることは容易い」と。次に矢を三本手に取り、折ろうとしますが、折れません。そして、こういうわけです。「先ほど見せた通り、矢を一本折ることは容易いが、三本折ることは困難だ」と。
つまり、お前たち三人は三人で一人と思いなさい。されば、容易に折れることなく、どんな困難にも立ち向かえると。
このエピソードは、元就が実際にこの三人に宛ててかいた「三子教訓状」という手紙が元となった逸話です。三矢の教えともいいます。
サンフレッチェとの関係は?
さて、いよいよサンフレッチェを崩しにいきます。三本の矢を知っていれば、非常に簡単な謎かけです。
<サンフレッチェの意味>
- サン→三本の矢の「三」からとっている
- フレッチェ→イタリア語の「矢」の複数形
つまり、サンフレッチェとは「三本の矢」という意味なんです。さすがに、「三本の矢広島」というチーム名はあれなので、言い換えたんでしょうね。そして、選手全員が結束せよ、という意味も込められているのだと思います。
広島の人たちは今も毛利元就を誇りに思っています。