江戸時代の「江戸」という名前の由来を簡単に解説

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「江戸時代」。言わずもがなですが、日本の歴史において約250年もの間大きな戦もなく平和であり、日本文化が隆盛した、俗に言う「徳川時代」ですよね。

 

ところで、この「~時代」という言葉、その当時の幕府や政治を行う中枢が置かれていた「場所」がその名前となっています。

たとえば!簡単な例でみると「鎌倉時代」です。あれば、源頼朝が鎌倉で幕府を開いたからですよね。室町もそうですね。

 

では、江戸時代の「江戸」って何なんざましょ??

今回はその「江戸」の意味を簡単に解説したいと思います。




 

まずはお決まりの文字分解!


はい、恒例の作業です。地名の由来を考える時はまずは文字を分解しましょう。今回も二文字なんで簡単です。

江戸→「江」と「戸」ですね。これを、それぞれの文字別で意味を考えて見ましょう。

 

<江と戸の意味推察>

  • 江:これは明らかに水を意味していますよね。川や入り江などという線が一番濃厚でしょう
  • 戸:戸は文字のごとく、入る場所または出る場所を意味しますよね。

これだけでも、なんとなく意味が推察できませんか??

 

そろそろ正解を発表したいと思います。

徳川将軍はどこにいたかというと、当たり前ですが「江戸城」ですよね。つまり、今でいう東京駅の近くにある「皇居」ですね。皇居ランなんか流行ってますが。

 

ここからは、今の皇居(江戸城)のことは忘れてください。

どういうことかというと、今の皇居付近はだいぶ埋め立てが進んで、昔の面影が全くないんです。

 

ピンと来ない方が多いと思いますが、江戸時代以前のあのあたりというのは、実は「一面の大湿原で、葦が大量に生えていた水はけの悪い土地」だったんです。今では想像できませんよね???そりゃ、埋め立てが行われ、水は排水され、とどめはコンクリートで蓋をされてるんですから。

 

つまり、「入り江」だったんです。その名も「世田谷入江」といいます。もう東京湾は目と鼻の先です。

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湿原のイメージ図笑

つまり、いくつもの川が合流し、東京湾にはける場所こそ、この「江戸」という意味の正体だったんですね。なので、この当たりの地名は昔から「江戸」と呼ばれていました。

 

ここからは少しマニアックなお話


ここからはちょいとマニアっくなお話となります。こっちの方が好きな人がいるかもしれませんが笑

 

実は関東には昔から「江戸氏」という武家がいます。

 

これは、桓武平氏の流れを組む「秩父氏(まさに埼玉県秩父を縄張りとしていました)」という氏族がいます。その一族に「秩父重綱」という平安時代の武士がいます。その重綱の四男が「秩父重継」と言う人物で、重継は武蔵国江戸郷を相続します。そのため、秩父重継=江戸重継となり、ここに「江戸館」を築くわけです。ちなみに、11世紀のお話です。

 

ここから先の話はもしかしたらお気づきの方もいるかもしれません。

 

その江戸館は室町時代後期になると、扇谷上杉家の宰相であり名将でもある「太田道灌(太田資長)」が江戸館を拡張し「江戸城」としました。1450年付近のことです。

 

そして、しばらく時がたち、徳川家康が江戸城に入城します。豊臣秀吉からの左遷だったわけですが。

 

そして、その江戸城にて徳川幕府(江戸幕府)を開くことになるわけですね。ちなみに、江戸近辺の灌水・埋め立て事業に着手したのは徳川家康からです。それまでは、繰り返しになりますが広大な大湿原が広がったいました。

 

今では埋め立てられ「江戸」という名前の意味時代なくなってしまいましたが、江戸にこめられて意味とその歴史は、徳川幕府よりずっと前から存在していたんです。




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