なぜ天満宮には牛と梅があるのか?学問の神様、菅原道真について語る

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「菅原道真」といえば、学問の神様として有名ですよね。また、全国にある天満宮は菅原道真を主神として祭っています。福岡県にある「太宰府天満宮」や京都にある「北野天満宮」なんかが有名どころでしょうか。もちろん、それ以外にも天満宮はたくさんありますが。

 

実は私のご先祖様は家系図を辿ると菅原道真なんです。だから自分自身歴史が好きなのかは不明ですが、それゆえに菅原道真については人一倍思い入れがあり、毎年必ず家の近くの天満宮にお参りにいっています。もちろん、旅先でも天満宮は必ず寄るようにしています。

 

さて、天満宮にお参りに行ったことがある人はお気づきかもしれませんが、天満宮って必ず「牛の像」と「梅の木」がありませんか?梅祭りなんかもたいがいの天満宮で催されています。菅原道真を語るうえで牛と梅は外す事のできない大切な要素なんです。

 

そんな菅原道真について今回は語りたいと思います。




 

学問の神様、菅原道真の実力


菅原道真は学問の神様と言われていますが、どれくらいすごかったのでしょうか?見ていきましょう。

 

もともと菅原氏は朝廷に仕える公家で、その中でも菅原道真(845~903)は平安時代の貴族であり学者であり政治家でもありました。最終的な位は従二位右大臣といって、簡単にいうと閣僚の中のNo.2の実力者と表現しておきましょう。時の天皇である「宇多天皇」に重用され、遣唐使(中国への留学制度)の廃止や様々な制度の制定など世界情勢を鑑みた国策を次々と打ち立てた人でも有名なんです。この頃の唐は荒れていて、派遣する価値無しとの先見の明を持っていました。

 

そんな菅原道真は幼い頃から神童とよばれており、中央官吏の養成学校である「文章生」に史上最年少で入学。以降、国の難関試験を次々と合格していきます。例えば、「方略式」という難関試験を26歳の頃に受験し合格します。これは約200年の間に60人ほどしか合格していない難関試験でした。33歳の頃には学問の最高位である「文章博士」となりました。

 

というように、地頭が抜群に良かったことが分かりますが、実は菅原道真は学問だけでなく、文武共に秀でていました。つまり、武門についても乗馬や弓などを非常によくこなすことでも有名だったんです。学問ばかり目が行きがちな菅原道真ですが、まさに「文武両道の人」だったんです。

 

菅原道真と梅の関係


そんな菅原道真は、梅をこよなく愛していました。なんと、菅原道真が5歳の頃に読んだ和歌にも梅が登場します。

梅の花 紅の花にも 似たるかな 阿呼がほほにも つけたくぞある

菅原道真の邸内にも多くの梅を自ら植えていたといいます。しかも、菅原家の家紋も「梅鉢」といって梅の家紋なんですよ。こちらです。

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なので、菅原道真と梅の関係は切っても切れない関係なんです。

 

菅原道真と牛の関係


そんな英明果敢な菅原道真ですが、いつの時代も「出る杭は打たれる」ものです。特に、島国の日本では顕著でした。残念ながら菅原道真もその中一人。菅原道真の出世を嫉んだ「藤原時平」を筆頭とした強大な藤原氏集団に、時の天皇である「醍醐天皇」に対して讒訴されます。つまり、根も葉もない悪い噂を吹き込まれたわけです。それに怒った醍醐天皇は、菅原道真を都から九州の大宰府へと左遷させてしまいます。

 

左遷された菅原道真はこの大宰府の地で憤死し、悲しい最期を遂げました。享年59歳のことでした。その時の辞世の句がこちら。

東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

意味は、読むだけで伝わりますね。それくらい悔しかったんでしょう。そして、梅の花を愛していたんです。

 

ちなみに、菅原道真と牛の関係は次のようなものです。菅原道真の遺骸を載せた車を引く牛(当時は牛車が主流でした)がとあるところで座り込んで動かなくなってしまいました。鞭でたたいても押しても全く牛は動こうとしないので、菅原道真公はこの牛が動かなくなった場所を自分の墓地としたいのだと周りの人は考え、そこを墓地と定めました。また、菅原道真はまさに丑年生まれだったことから、「神の使い」として菅原道真と共に神聖視されることとなりました。それが、菅原道真と牛の関係なんです。だから、天満宮には牛がたくさん祭られているんです。

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菅原道真と天満宮の関係


最期に、菅原道真と天満宮の関係です。偉人として亡くなった人は多いですが、神として祭られてる人ってそうは多くないですよね?実は、菅原道真が天満宮に神様として祭られているのには訳があるんです。

 

菅原道真の死後、朝廷では不吉な事件や天変地異が頻発します。まず、菅原道真を左遷に追い込んだ藤原時平が病死し果てます。そして、醍醐天皇の息子で藤原時平の甥である皇太子も死んでしまいます。また、朝廷での会議中に雷が落ち、道真を左遷に追い込んだ数名が焼け死んでしまいます。そのことから、「これはきっと菅原道真の怨霊に違いない!!」という噂が広がり、その祟りを鎮めるために、菅原道真を神として奉りました。それが「天満宮のはじまり」です。鎮魂の意味合いから始まった天満宮ですが、菅原道真は非常に頭が良かったためにいつしか「学問の神様」としても祭られるようになり、受験シーズンでは多くの人が合格祈願にくるようになりました。

 

ちなみに、天満宮の中でも道真に縁のある「太宰府天満宮」と京都にある「北野天満宮」、そして天満宮として最も歴史の古い山口県の「防府天満宮」「三大天満宮」と呼ばれています。私はその中では北野天満宮しか訪れたことがないので、いつしかご先祖様のために、お参りしたいと思っています。

 

みなさまもお近くにある天満宮に訪れてみてください。きっと、「梅」と「牛」がお出迎えしてくれるはずですよ。梅鉢の家紋も忘れずに!




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1 件の返信

  1. 2017年5月17日

    […] なぜ天満宮には牛と梅があるのか?学問の神様、菅原道真について語る […]

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