日本三大奇橋の一つ、猿橋には奈良時代からの日本の歴史がつまっている

 

日本には三大〇〇や、〇〇四天王など様々な物事を番付をするのが大いに好きな文化特性があります。その中の一つに「三大奇橋」というものがあるんですが、これは古くからの橋でありかつ奇抜な設計がされているものが選ばれています。

<三大奇橋>

  • 錦帯橋(山口県岩国市)
  • 愛本橋(富山県黒部市)
  • 猿橋(山梨県大月市)

 

よくテレビなんかで放送されるのは見栄えの良い錦帯橋ですが、本日はその三大奇橋の中の「猿橋」のお話です。猿橋は私のすんでいる多摩からもほど近く、私も何度か訪れたことのあるスポットなのですが、なかなかに歴史が深いんです。さっそく、ご紹介したいと思います。




 

百聞は一見に如かず、まずはご覧あれ!


猿橋はなかなか独創的なデザインをしています。とにかく、まずはみていただくのが一番です。さぁ、どうぞ!!

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猿橋に行くにアクセス方法として二つあります。JR中央本線の猿橋駅で下車するか、甲州街道を車で行くかです。猿橋のまわりには別の観光スポットがあるにはあるのですが、少し距離があるため個人的には車でいくのがおすすめです。徒歩だとなかなかきついです。

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分かりますかね?これ、吊り橋ではなくて「刎橋」といって、刎木を斜めに刺していく架橋構造をしているんです。簡単にいうと、木と木が斜めにお互いを支えあうことによって、橋が成り立っているんです。これでかなりの耐久力が発揮されるんです。不思議ですよね。

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下から見るとこんな感じ雨で浸食されないよう木の傘までしつらえてあります。まさに奇橋と呼んでよいでしょう。

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と、いうのもこの猿橋がかかっている場所はかなりの渓谷になっているんです。なので、限られたスペースと工法でつくるしかなかったんですね。猿橋のデザインもすごいですけど、この猿橋渓谷もなかなか絶景ですよ。

 

猿橋は歴史のおける重要地点


当サイトは歴史サイトです。なので、猿橋の観光ポイントをお伝えしてはい、終わり!じゃぁございません。実はこの猿橋というのは、歴史におけるなかなかの重要地点なんです。

 

というのも、現在の山梨県大月市に位置するこの猿橋は、旧国でいうところの甲州・武蔵・相模の国境に位置していました。江戸時代になって甲州街道が整備されるとこの重要な土地には猿橋村という宿場町が整理されたことにもその重要な地理的要素は垣間見れます。

 

戦国時代においてはこのあたりは武田家の重臣である「小山田氏」の支配下となり、北条家をはじめ近隣の強者達と戦いの舞台にもなっています。小山田氏は猿橋がある同じ大月市の「岩殿城」を拠点にしていたことでも有名ですね。猿橋を見学したとは、車で岩殿城見学コースもおすすめですよ。というより、このあたりに来たら岩殿城は必須です。断崖絶壁に建てられている岩殿城は絶景ですよ。

 

つまり、この猿橋というのは物流においても人の流れにおいても重要な交流軸に存在していました。そのため、こんな渓谷絶壁の中においても橋がかけられたということになります。だって、人が通らないところにわざわざ橋を架けることはしませんからね。

 

猿橋はいつ架けられたのか?


猿橋に訪れると小さな社が建っており、そこに猿橋の歴史が記されています。それによると、610年頃に百済(朝鮮)からの渡来人である「志羅呼(しらこという人物が猿が互いに体を支えあって橋を作ったのを見て造られたと言われています。このことから、「猿橋」と呼ばれるようになったわけです。

 

この頃に大陸の人たちが関東にまで来てたの??と思うかもしれませんが、この奈良時代というのはすでに大陸との交流が盛んでした。特に大陸の人たちはお寺や仏像造りに関しては先進国でしたので、建築関連の人たちをたくさん招聘していました。また、当時の朝鮮大陸にはいくつかの国が出来てり滅んだりしており、その遺民が日本に流れてくることも多々ありました。例えば、関東でいうと埼玉県の「新座」「高麗」は朝鮮系の人たちが移り住んでつくった町です。新座は「新羅」、高麗はそのまんま「高麗」ですね。

 

というように、猿橋はなんと日本の歴史だけにとどまらないんです。また、そんな古くから橋が架けられるということはそれだけこの地は重要な拠点だったことが伺えます。

 

身近なスポットにも、ふかーい歴史が存在しているんです。




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